Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

2016年リベルタドーレス杯 グループ7概要

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コパ・リベルタドーレス(西: Copa Libertadores)は、南米サッカー連盟(CONMEBOL)が主催する、クラブチームによるサッカーの大陸選手権大会である。

現在、南米におけるクラブレベルの大会としては最も権威のある大会として認識されている。またサッカー強豪国の国内リーグの覇者が多数集まることから、UEFAチャンピオンズリーグに次いで世界レベルの名選手や次世代のスター候補選手が多く出場することでも知られており、プレーレベルの高い大会として世界中から注目を集める大会となっている。

「リベルタドーレス(Libertadores : '解放者' の意)」とは19世紀のラテンアメリカ諸国における独立運動の指導者を指すスペイン語であり、南米諸国の独立運動の指導者たちと国民の歴史に対する敬意が込められている。

優勝チームには12月のFIFAクラブワールドカップ(旧トヨタカップ)への出場権が与えられる(しかしメキシコのクラブは招待枠なので、決勝戦まで勝ち進んでも出場権は対戦相手チームへ与えられることになる)。

Wikipedia)

 

Notigoyaというサイトによると(現在のところ、開催日時は未定)

まず第1節にPUMAS対CSエメレク戦をオリンピック・スタジアム(69,000人収容)で

 

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第2節にクラブ・オリンピア対PUMAS戦をエスタディオ・マヌエル・フェレイラ(22,000人収容)で

 

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第3節をデポルティーボ・タチラ対PUMAS戦をエスタディオ・ポリデポルティーボ・デ・プエブロ・ヌエボ(42,500人収容)で

 

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第4節にPUMAS対デポルティーボ・タチラ戦、第5節にPUMAS対クラブ・オリンピア戦をオリンピック・スタジアムで、最後に第6節をCSエメレク対PUMAS戦をエスタディオ・ゲオルゲ・カプウェル(24.019人収容)で

 

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で、それぞれ行なわれるとのこと。 それでは、グループ7のライバル・チームとその有力選手について触れていきます。まずは最大のライバルであろうと目される、クラブ・オリンピア(パラグアイ)から。

 

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クラブ・オリンピア(西: Club Olimpia)は、パラグアイの首都アスンシオンに拠点を置くスポーツクラブ。都市名を付けてオリンピア・アスンシオンと呼ばれることも多い。1902年にパラグアイ初のサッカークラブとして設立された。プリメーラ・ディビシオンでは39回優勝しており、ライバルのセロ・ポルテーニョ(27回)を大きく引き離してパラグアイ最多である。1978年シーズンから1983年シーズンまでのリーグ戦6連覇はリーグの最多連覇記録である。南米サッカー連盟(CONMEBOL)の公式大会での優勝経験があるパラグアイ唯一のクラブである。リベルタドーレス杯では3回、インターコンチネンタルカップでは1回優勝しており、国際大会では計8個のタイトルを獲得している。1979年には国内リーグ、リベルタドーレス杯、インテルアメリカーナ杯、インターコンチネンタルカップ全てで優勝する4冠を達成した。国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)は「大陸別20世紀のクラブランキング」でオリンピアを南米第5位に選出しており、国際サッカー連盟(FIFA)はオリンピアを「クラシッククラブ」のひとつに選出している。

 

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クリスティアン・リベーロス(主将・33歳)

ポジションはミッドフィールダー。地元のアマチュアチームでキャリアをスタートさせ、2006~07年途中までクラブ・リベルタに所属。2006年FIFAワールドカップのパラグアイ代表に選出され、2試合に出場している(代表歴は、2005年から90試合出場し15ゴール)。2007年にメキシコのクルス・アスル2010年にプレミアリーグのサンダーランドAFCへ、シーズン途中にトルコのカイセリスポルへ移籍(レンタル)。2013年にブラジルのグレミオに1年居たあと、現在のクラブへ。

 

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アレハンドロ・シルバ(ウルグアイ・24歳)

本職は攻撃力を活かせる右サイドバックで、最終ラインならどこでも対応するマルチプレーヤー。その攻撃力は、サイドハーフが務まるほど。2013年リベルタドーレス杯で惜しくもアトレチコ・ミネイロに決勝戦で負けたものの、今度こそはと意気込んでいるハズ。サポーターからは『El Decano(学部長)』というニックネームで親しまれている。

 

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フレディ・バレイロ(33歳)

一瞬のスピードと力強いドリブル突破を武器に、常に積極的な姿勢でゴールを狙うアタッカー。コパ・アメリカ ペルー大会ブラジル戦では決勝ゴール、アテネ五輪でも4得点をあげパラグアイ史上初のメダル獲得に貢献など、大舞台での勝負強さも持っている。2007年にはクラブ・レオン、2012年にはテコスとメキシコ1部リーグに所属していた。

 

続いて、CSエメレク(エクアドル)について。

 

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CSエメレク(Club Sport Emelec,Emelec)はエクアドルのグアヤキルに本拠地を置くサッカークラブ。電力会社が設立したクラブであり、エメレクというクラブ名は企業名の頭字語(Empresa Eléctrica del Ecuador)が由来である。同じグアヤキルを本拠地とするバルセロナSCとのクラシコ・デル・アスティジェーロ(造船所クラシコ)は国内で最も白熱する戦いの一つである。1995年にはコパ・リベルタドーレスで準決勝進出を果たし、2001年のコパ・メルコノルテ(現コパ・スダメリカーナ)では準優勝を成し遂げた。1998年には当時所属していたイバン・カビエデスが世界記録となる年間43ゴールを挙げたことでも知られる。国内タイトル:エクアドルリーグ : 13回(1957, 1961, 1965, 1972, 1979, 1988, 1993, 1994, 2001, 2002, 2013, 2014, 2015年)

 

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ミレル・ボラーニョス(25歳)

2006年にエクアドル1部リーグデビューを果たし、2012年にチバスUSAに移籍した後現在のエメレクに所属。2014年南アメリカ杯(南米サッカー連盟のUEFAヨーロッパリーグに相当する大会で、2008年よりJリーグ・ヤマザキナビスコカップの優勝クラブと対戦する国際試合「スルガ銀行チャンピオンシップ」に招待されている)で得点王(5得点)・ベストイレブンとなり、2015年コパ・アメリカでもエクアドル代表としてグループ予選で対メキシコ&ボリビア戦で各1ゴールを決めている。昨年10月から行なわれている2018年ロシアW杯南米予選でもボリビア戦でゴールするなど、フィニッシュだけでなく、中盤に下がってビルドアップの局面にも貢献する万能型で、攻撃に幅をもたらすオプションとして貴重な存在。

エクアドルファンさんによるご指摘により、訂正(2015年12月29日18:35)

 

クリスティアン・ボラーニョス(31歳)

縦横無尽に動き回る豊富な運動量、強力なキック、優れたスピードと瞬発力を備えたコスタリカ代表のサイドアタッカー。愛称は“ボラ(Bola)”。20歳そこそこにして注目を浴び、2005年のクラブワールドカップの前には、シドニーFC監督のリティが「スピードある」と警戒を強めていた。 この大会ではそのシドニーFC戦でゴール、涙を流しながら直前に亡くなった父に捧げた。2006、2014W杯にコスタリカ代表として出場している。なお、2006-07シーズンにリヴァプールが獲得し、ローン移籍でチャールトン(背番号23で)加入が決定したが、労働ビザが下りずに移籍取り消しとなったことがある。兄ホナタン(Jonathan)もコスタリカ代表歴を持つサッカー選手だった。

 

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ペドロ・キニョネス(29歳)

エメレクのキャプテン、そしてコントロールタワー。攻守の繋ぎ役として試合全体をコントロールする能力に長けたセントラルMFで、一発で流れを変えるような大きな展開力やスルーパスこそないが、中央でボールを受ける・捌くを繰り返しながらリズムを生み出しつつ自らも積極的に前方へ顔を出してミドルシュートを狙う。上背こそないがどっしりとした体と下半身をしているため、シュートは重く強烈だ。また、エメレクではほとんどのセットプレーを担当しており、合わせるボール、直接狙うキックと、“精密”ではないが“高精度”である。これらを踏まえると、ボランチとはいえやはり攻撃面に特徴のある選手と言えるだろう。2007年のコパ・アメリカでエクアドル代表に選出されているが出場機会はなし。以降、ルエダ体制でも定期的に呼ばれているが、ノボア、カスティージョの控えに甘んじている。

 

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ガブリエル・アチリエル(30歳)

2014年W杯のエクアドル代表DF。「悪魔(El Diablo)」や「El Gabo」の異名を持つ。上背は並だが強靭な肉体を生かした守備が特徴のセンターバック。ただ強面な風貌の割に器用で左右両サイドバックでのプレーも可能。いわゆる守備のユーティリティープレイヤーである。使い勝手のいい部分が買われてレイナルド・ルエダ体制の代表に定着。レギュラーを掴みかけた時期もあったが2014年W杯にはグアグア、エラソの控えだった。

 

そして、最後にデポルティーボ・タチラ

 

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デポルティーボ・タチラFC(スペイン語: Deportivo Táchira Fútbol Club)は、ベネズエラの北西部、タチラ州の都市サン・クリストバルに本拠地を置くプロサッカークラブチームである。現在はリーガ・ベネゾラーナの1部に所属している。エストゥディアンテス・デ・メリダ・フトボル・クラブとの試合は、伝統的にクラシコ・デ・ロス・アンデス(スペイン語: Clásico de los Andes、アンデス・ダービー)として知られる。しかし、近年はカラカスFCとの間のダービーのほうがよく知られている。国内タイトル:プリメーラ・ディビシオン 7回(1979, 1981, 1984, 1986, 2000, 2008, 2011, 2014年)ベネズエラ・カップ 1回(1986年)

 

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セサル・エドゥアルド・ゴンサレス(33歳)
2011年、2015年コパ・アメリカのベネズエラ代表。「名指揮者(Maestrico)」の異名にふさわしいスピードとドリブルが武器のサイドアタッカーで、ずば抜けた個人能力はないが、組織に従いながらも攻撃に変化を付けられる選手である。合わせるセットプレーを担当する。2部に落ちた当時であるがアルゼンチンの名門リーベルに所属した経験を持つ。デポルティボ・タチラではキャプテン。

 

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ホルヘ・アルベルト・ロハス(38歳)
百戦錬磨のベテラン選手で、タチラの中でも最も経験豊富。84回のベネズエラ代表として国際試合に出場をしており、コパ・アメリカやW杯予選を戦った。38歳という年齢ではあるものの、その成熟したプレーと左サイドバックとしてのセンタリングに習練された左足には定評がある。

 

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マルセロ・アレクサンデル・モレノ(21歳)
ベネズエラのサッカー選手としては売り出し中の若手で、21歳という若さながらデポルティボ・タチラ不動のレギュラーの座を獲得している。アンダーのベネズエラ代表で中盤をそのスピードと正確なボールタッチで担う重要な選手。