2019年前期ステージにおける1番の山場とも言える、首都ダービーが今週末(独立記念日の三連休)の土曜日に行われます。以前に住んでいたトラルパンから、徒歩数分の場所にあるアステカ・スタジアムが今回の舞台になります。この首都ダービーにおけるPUMASのクラブ・アメリカへのライバル意識は、1960年代のプリメーラ・ディビシオン(1部リーグ)昇格とともに始まり、クルス・アスル(厳密には、クラブ創設はイダルゴ州)へのライバル意識と比べてかなりの歴史を持っています。
両クラブはメキシコシティに本拠地を置いており、ライバル意識の誕生と成長には排外主義的な空気が手伝いました。数年後クラブ・アメリカはPUMASのアイドル的存在だったメキシコ代表フォワード:エンリケ・ボルハを獲得しましたが、ボルハは契約に至る前の記者会見で「クラブ・アメリカに売られたくない」と発言していました。
1980年代のリギージャ(プレーオフ)決勝の舞台では、疑惑の残る判定でアメリカがPUMASに2度敗れたことから、両クラブのライバル意識が伸長しました。1990年代はPUMASがリギージャ(プレーオフ)決勝でクラブ・アメリカに勝利(1990-91シーズン)して始まりましたが、この対戦は2試合のスコア合計3-3(3-2、0-1)の引き分けであり、アウェーゴール差で勝敗が決したものでした。2000年代になると下部組織出身選手までもクラブ・アメリカを嫌悪しだし、この時代にはバーラ・ブラーバ(南米特有のサポーター組織=ラ・レーベル)が誕生しました。
そういう歴史はその場にいないと味わえないものですが、その時代を知らずともスタジアムへ足を運んで空気を吸えば、何となく分かるくらい普段の試合とは全く雰囲気が異なることが分かります。サポーター仲間のメキシコ人で試合前に時間を潰している合間に「何てピリピリするんだろう、対クラブ・アメリカ戦は!」と言い合うぐらいです。
数年前までこのクラブ・アメリカとの首都ダービーだけは、1度もスタジアムへ足を運ばないことはありませんでした。しかし昨年は当時の勤務先がグアナファト州イラプアト市であったり、その現場における仕事の都合で残念ながら参戦出来ませんでした。特に昨年のリギージャ(プレーオフ)では2度クラブ・アメリカと対戦し、後期ステージでスコア合計6-2・前期ステージでスコア合計6-2という大敗をそれぞれ喫し、選手たちにも苦手意識が芽生えたように思います。
今週の火曜日からチケット発売となり、通常の試合よりも約2倍(当日ダフ屋から購入する場合には、約3~5倍)の価格帯となっております。個人的に9月の日曜日はすべて出勤となっており今回ばかりは行けないかなと思っておりましたが、幸運にも日曜日の夜勤シフトに勤務することになったので、土曜日の朝高速バスで移動して試合終了後の夜行バスで再びアグアスカリエンテスへ戻り、一度自宅で仮眠してから業務に入ることにしました。リーグ中断前の試合内容は酷かったクラブ・アメリカも、ミゲル・エレラ監督が指揮を執っている際には今年の2月以外は首都ダービーで黒星を喫したことがないのに加えて、今シーズンのPUMASがしているサッカーの内容があまり良くないので気楽な気持ちで臨みたいと思います。