Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

ミッチェル監督・独占インタビュー内容要旨

f:id:ClaudioSuarez:20200223093621p:plain

 

カンチャ(レフォルマ誌のスポーツ紙)社長:ミゲル・アリスぺ氏による、クラブ・アカデミー施設における独占インタビュー

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223091951p:plain

 

◆PUMASから監督のオファーがあった時、何も迷いなく引き受けた。過去の指導者キャリアで一番難しかったのは、過去にUEFAチャンピオンズリーグも制したことのあるオリンピック・マルセイユ。自分のキャリアから1時期のみ削除したいとすれば、当時の思い出である。なぜならば常にサポーターによる期待が大きいクラブであり、いろいろな批判を受けたりしたからである。

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223092321p:plain

 

◆PUMASで最初のシーズン(2019年前期ステージ)が終わった後、大規模な選手の入れ替えをした。これはクラブから意見を求められたので、それに対して自身の意見を述べた。それを基に首脳陣(当時はアレス・デ・パルガ会長、その後すぐに就任したレオポルド・シルバ現会長やヘスス・ラミレス部長ら)が選手の入退団に関する契約をおこなった。今シーズンに加入した補強選手たちは、クラブのスカウトマンらと情報交換しながら、PUMASに貢献できる存在だと判断してクラブが契約をした。

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223092621p:plain

 

◆アラン・モソは、まだまだ若い。今まさにいろいろなことを覚えながら、成長している段階だ。今までは1試合あたりの走破距離が7〜8キロだったのが、現在では10〜11キロ走るようになった。今シーズンも第4節の対サントス・ラグーナ戦(アウェーゲーム)で最もインテンシティが高かった右サイドにおける攻防で活躍し(負傷はしたものの)、その前節の対CFモンテレイ戦(ホームゲーム)では決勝点をアシストするパスを出してチームに貢献した。

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223092855p:plain

 

メキシコ サッカー1部リーグで、最も好きな選手は自身のクラブ・フォワード:カルロス・ロドリゲス。他チームの選手では、クラブ・アメリカのセバスティアン・コルドバやクラブ・ティファーナのマウロ・ライネス(クラブ・アメリカからポルトガルのポルトへ移籍した、ディエゴ・ライネスの兄)。しかしながら大好きなのは、自分のチームの選手たちである。

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223093222p:plain

f:id:ClaudioSuarez:20200223093329p:plain

 

◆メキシコ人監督で優秀であると思うのは、クラブ・レオンのイグナシオ・アンブリス監督とアトレティコ・サンルイスのギジェルモ・バスケス監督。メキシコサッカー1部リーグは非常に競争が激しく各クラブの実力が伯仲しているので一概にリーグ優勝候補を挙げろと言われても難しいが、クラブ・レオンは良いサッカーをすると思っているし、可能性が高いと思う。もし自身が指揮するPUMASがリーグ優勝したら、その期間はどのくらいかは分からないが、長い間トップで居続けるだろう。

 

 

 

  • ホセ・ミゲル・ゴンザレス“ミッチェル” 

f:id:ClaudioSuarez:20200223091847p:plain

 

ミチェル (Michel) こと、ホセ・ミゲル・ゴンサレス・マルティン・デル・カンポ(José Miguel González Martín del Campo, 1963年3月23日生まれ)は、スペイン・マドリード出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代はスペイン代表で、ポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ)で、クロスの精度や決定力などが持ち味であった。10年以上に渡ってレアル・マドリードに在籍し、数々のタイトルを獲得している。スペイン代表としては66試合に出場して21得点を挙げ、2度のFIFAワールドカップと1度のUEFA欧州選手権(現在のEURO)に出場した。現役引退後は指導者としての道を歩んでいる。

 

 

選手としてのキャリア

◆クラブ

レアル・マドリードの下部組織出身。1982年にトップチームデビュー。翌シーズンに2部リーグ優勝を果たし、ミチェル、エミリオ・ブトラゲーニョ、マヌエル・サンチス、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサらはキンタ・デル・ブイトレと呼ばれた。その他のメンバーとともにトップチームに昇格すると、1985年にはUEFAカップ2連覇を果たし、自身初のリーグタイトルを獲得した。このシーズンから5連覇し、コパ・デル・レイでもたびたび優勝するなど、クラブの黄金期の中心メンバーとして歴史に名を残した。UEFAチャンピオンズリーグ優勝はならなかったが、獲得したタイトルは16にも及んだ。1996年までレアル・マドリードに在籍し、メキシコのアトレティコ・セラヤ(現在のセラヤFC=2部リーグ)に移籍した後、翌シーズンに現役引退した。

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223100751p:plain

 

◆スペイン代表

世代別代表で活躍し、U-18代表として21試合に出場して11得点。1985年にA代表デビューし、翌年のメキシコワールドカップでは5試合に出場。1990年のイタリアワールドカップでは、グループリーグ2戦目でハットトリックを達成するなど活躍。しかし、1992年以降はフル代表に招集されることはなくなった。

 

f:id:ClaudioSuarez:20200223100920p:plain

 

指導者としてのキャリア

2005年にスペイン3部リーグのラージョ・バジェカーノで監督デビュー。翌年にはレアル・マドリードのトレーニング場の社長に就任、下部組織の総責任者となるとともに2部リーグチーム監督も務めたが、2006年に3部リーグ降格し、監督を解任された。

2009年、1部リーグで苦戦するヘタフェCFの監督に就任。残留を果たし、翌シーズンはクラブ史上最高の6位に躍進してUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得したが、その後は16位と低迷し、シーズン終了後に解任された。

2012年にセビージャFCの監督に就任した。前シーズン9位で終わったチームの欧州カップ戦の出場権獲得を託されたが、直近のリーグ戦では11試合でわずか2勝と振るわず責任を負わされる形で翌年に解任される。

2013年からギリシャのオリンピアコスFCと2年半契約を結び指揮官に就任すると、すぐさまチームをリーグとカップの2冠に導く。翌シーズンにはリーグ連覇を達成するとともに、UEFAチャンピオンズリーグで4シーズンぶりとなる決勝トーナメント進出へ導いた。その後クラブオーナーや選手たちとうまく行かず、2015年に解任された。

その後、アギーレ監督解任後の日本代表監督選定の中で候補者の1人して報道されることもあったが、2015年にオリンピック・マルセイユの監督に就任。しかし翌年のリーグ戦で15位という低迷ぶりからクラブから解任が発表された。

2017年、マラガCFの監督に就任。翌年に解任された。

2019年、メキシコ サッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルでそれまで指揮を取っていたブルーノ・マリオーニが更迭され、前期ステージ開幕前に監督に就任。