Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

ハイメ・ロサーノ(元PUMAS)メキシコ五輪代表監督について

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4度目のリーグ優勝(2004年後期ステージ)決勝戦ペナルティーキック

「日本はとても良いチーム」 メキシコ五輪監督が「規律」と「流動性」を警戒 | フットボールゾーン

メキシコ五輪代表のハイメ・ロサーノ監督が東京五輪で同組となった日本、フランス、南アフリカについて言及

2021/04/22 11:2

本日発表された東京オリンピック・サッカー競技における予選組み合わせで日本、フランス、南アフリカと同組になったメキシコ代表監督を務めるハイメ・ロサーノのウェブサイト検索が非常に多い割りには、選手として現役時代に触れた記事があまりに少ないのでここに簡単に紹介しておきます。
 

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 ※大学都市(オリンピック・スタジアムがある)産まれとプリントされたTシャツ
 
ハイメ・アルトゥーロ・ロサーノ・エスピン(MF)

1978年9月29日生まれ(42歳)

経歴:1998~2001年PUMAS(50試合5得点)、2001~2002年セラヤFC(メキシコサッカー現在2部リーグ、24試合1得点)、2002~2005年PUMAS(99試合20得点)、2005~2007年UANLティグレス(67試合12得点)、2007~2010年クルス・アスル(90試合15得点)、2010~2012年モナルカス・モレリア(69試合12得点)、2012~2013年PUMAS(10試合1得点)

メキシコA代表歴:リカルド・ラ・ボルペ監督時代に継続的に招集された。2006年FIFAワールドカップ・北中米カリブ海地域予選、2004年(ペルー大会・第4位)、2007年(ベネズエラ大会・第3位)コパ・アメリカ、2004年アテネ五輪(一次予選敗退)メキシコ代表、そして一番強く印象付けた活躍をした2005年FIFAコンフェデレーションカップ(第4位)である。

 

常にあだ名「ジミー(ハイメの英語名)」と呼ばれるが、俳優一家(父ハイメ・ロサーノ・アギラル=映画やテレビで豊富な経験を持つメキシコの俳優と母アナ・ベルサ・エスピン・オカンポ=2005〜2020年のコメディシリーズ『隣人たち』ロレナリバーズ役で知られるメキシコのテレビ、劇場、映画の女優の間)に生まれたため、「エル・アクトール(俳優)」と呼ばれることもある。選手として現役時代は、左足のフリーキッカーとして優れていた。近年のPUMAS黄金時代の1つでもある、メキシコサッカー1部リーグが年2期制となって以来初めてのリーグ連覇(2004年後期ステージ前期ステージ)に大きく貢献。そしてクラブ史上大きな業績である、サンティアゴ・ベルナベウ杯(レアル・マドリードが主催するプレシーズンの親善大会︰1回(2004年=当時ラウール、ジダン、ベッカム、フィーゴ、オーウェン、ソラーリらが出場、ヨーロッパ外に本拠地を置くクラブとして初めて優勝)である。