Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

通算最多得点第1位:カビーニョ(166得点)

 

エヴァニヴァルド・カストロ・シルバ(カビーニョ)

身長:177cm 体重:不明

1948年4月28日生まれ(74歳)

国籍:ブラジル

デビュー:1966年(アメリカFC・サンパウロ州)

経歴: 1966~1969年アメリカFC(55試合22得点)、1969年CRフラメンゴ(6試合1得点)、1970年ゴイアスEC(6試合2得点)、アソシアソン・フェロヴィアリア・ジ・エスポルテス(15試合6得点)、1971~1974年アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス(70試合38得点)、1972年アトレチコ・ミネイロ(全てブラジル1部リーグ・(13試合2得点)、1974~1979年PUMAS(209試合166得点)、1979~1982年アトランテFC(134試合108得点)、1983~1985年クラブ・レオン(76試合44得点)、1986~1987年UANLティグレス(33試合9得点)

タイトル:1973年サンパウロ州選手権、サンパウロ州杯(共にアソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス)、1974年メキシコ杯、メキシコスーパーカップ、1976年メキシコサッカー1部リーグ優勝(共にPUMAS)

個人タイトル:1974年メキシコ杯得点王(PUMAS)、1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1984年得点王及び最優秀フォワード(PUMAS,アトランテFC,クラブ・レオン)、1976,1977,1980年シーズン最優秀選手(PUMAS,アトランテFC)、2011年殿堂入り

 

 

バイーア州サルヴァドール市出身。カボもしくはカビーニョのニックネームで知られるブラジルの元サッカー選手であり、監督を務めたフォワード。メキシコサッカー1部リーグの歴代最高得点者(計327得点)として際立っている。

そのキャリアはアメリカFCやCRフラメンゴ、アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトスらのブラジルサッカー1部リーグで始まり、際立った功績は1973年サンパウロ州選手権、サンパウロ州杯であった。その後PUMASへ移籍して、メキシコサッカー1部リーグ、メキシコ杯、メキシコスーパーカップに優勝。加えて、リーグ史上最高の得点者(209試合166得点)となった。さらにその後移籍したアトランテFCでもまた得点王(134試合108得点)となった。キャリアの終盤ではクラブ・レオンやUANLティグレス、そしてパイサンドゥSC(ブラジルサッカー1部リーグ)で終えた。

8度の得点王と最優秀フォワードは、メキシコサッカー1部リーグ史上最多回数を誇る。また8度のシーズン最優秀選手は、ファビアン・エスタイとクアウテモク・ブランコと並んで最多。2011年には最初の殿堂入りを果たした。

1948 年 4 月 28 日、ブラジルのバイーア州サルヴァドール市で生まれた。両親を若くして亡くし、軍警察の司令官である叔父に預けられた。 兵舎で育った彼は軍用品が好きで迷彩服を着ていたため、象徴的なニックネームである「カビーニョ」が付けられた。地元のサッカーチームでそのキャリアの第一歩を踏み出し、その後ボタフォゴFRやSEパルメイラス、アトレチコ・ミネイロのユースアカデミーへ。しかしながら、1966年アメリカFCでプロデビューを飾る。このクラブにおける最後のプレーは、1969年6月30日のサンパウロ州選手権の対ボタフォゴFC戦で2-1の勝ち越しゴールを決めた試合。同年CRフラメンゴへレンタル移籍、翌年にはゴイアスECとアソシアソン・フェロヴィアリア・ジ・エスポルテスへ。さらにその翌年からアソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトスやアトレチコ・ミネイロなどへ転々とした後に、メキシコサッカー1部リーグへ。

1974年7月19日、PUMASへ移籍。最初のシーズンで15試合16得点。同年メキシコ杯決勝で対クラブ・アメリカ戦を1-0で制して優勝を飾る。カビーニョは15得点で得点王に輝いた。また翌年7月27日にはメキシコスーパーカップで対デポルティーボ・トルーカ戦を1-0で制して優勝。1976年には対グアダラハラ大学戦で1stレグをスコアレスドロー、2ndレグを1-0で制してリーグ優勝、1975~1979年連続でリーグ得点王(最後の年には、同じチームメイトであったウーゴ・サンチェスと分け合った)。PUMAS在籍時に、209試合166得点をマーク。その後も引き続きアトランテFCやクラブ・レオン、UANLティグレスで活躍をし、メキシコサッカー1部リーグにおける通算452試合327得点という不滅の大記録を樹立した。