Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

PUMAS新監督:アントニオ・モハメド、公式就任会見

 

アントニオ・モハメド*1がPUMAS入団会見「ここで指揮を執ることが、常に目標だった」

 


PUMASはアントニオ・モハメド新監督と1年間+継続オプションで契約を正式に発表した。記者会見でアントニオ・モハメドは、監督としての自身のキャリで新た挑戦をすることに非常に満足していた。メキシコサッカー1部リーグにおいて、6つ目のクラブの指揮を執ることになった。
「クラブの首脳陣が、我々コーチ陣の仕事に対して信頼を寄せてくれたことに感謝する。昨年10月に一度依頼を受けたが、当時は未だ準備が出来ておらず解決すべき問題があった。PUMASのようなビッグクラブと対戦することは非常にエキサイティングであり、ここで指揮を執ることが常に目標だった。」

 


同様に、彼はPUMASの依頼を引き受けた理由を次のように明らかにした。

「 自分がこの挑戦をしたのは、PUMASが競争するためのDNA、タイトルへの欲求を持っていると信じているからだ。(ライバルチームである)クラブ・アメリカとは何の関係もない。今自分はこのジャージを着て、全身全霊でそれを守っている。自身の過去とは何の関係もない。」

 


最後に日々ハードワークをして、リスクを冒しつつサポーターへタイトル獲得を約束するつもりだと述べた。

「夢を見ることは、無償で可能だ。それを持たない人には、未来がない。我々はベストを尽くすことで夢を見つつ、明らかに常に可能性あってそれをすることは価値がある。自分は義務という言葉が好きではない。我々は卓越性を追求する。 リーグ王者になると言うのは無責任だ。 我々は、最大の成果を達成するために戦うつもりだ。」

 


なおレオポルド・シルバ会長はアントニオ・モハメドが止むを得ない事情のため、今週末のケレタロFC戦は指揮が執れないことを公表し、4月3日(月)からチームの全責任者となり、今シーズンの残り4試合に臨むとした。

 



*1:

 

リカルド・アントニオ・モハメド・マティヘビッチは、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。メキシコ国籍も所持しているアラブ系アルゼンチン人。

 

選手時代:1987年に当時アルゼンチン2部リーグのCAウラカンからデビュー。1988-89シーズンには中心選手として2部リーグ優勝と1部リーグ昇格に貢献した。イタリア1部リーグのACフィオレンティーナに移籍金120万USドルで移籍したが、その後母国1部リーグのボカ・ジュニアーズとCAインデペンディエンテにそれぞれレンタル移籍をした。1988年から1991年にはアルゼンチンA代表に招集され、1991年にはコパ・アメリカに出場。1993年にメキシコ1部リーグのトロス・ネサFCに移籍し、1997年後期ステージではエンリケ・メサ監督に率いられ、非常に攻撃的なスタイルで旋風を巻き起こした。リギージャ(プレーオフ)では決勝に進出したが、CDグアダラハラに敗れて準優勝。1998年まで在籍し、モアメドが着けていた背番号11はクラブの永久欠番となっている。1998年にはCFモンテレイに移籍して2000年まで在籍。その後数年間はCDマルテ、イラプアトFC、アトランテFC、クラブ・セラヤ、CDサカテペクに短期間在籍し、2003年に現役引退した。

 

監督時代タイトル:2010年コパ・スダメリカーナ(南米サッカー連盟が主催するクラブチームによる国際大会、CAインデペンディエンテ)、2012年前期ステージ(クラブ・ティファナ)、2014年前期ステージ(クラブ・アメリカ)、2017年前期ステージ、2020年・メキシコ杯、2019年前期ステージ(全てCFモンテレイ)、2022年ブラジル・スーパーカップ、ミナスジェライス州選手権(アトレチコ・ミネイロ)