さて、いよいよプレーオフ準々決勝の1stレグの日がやってきました。
舞台はプエルト・ハローチョ(鮫の港)=ベラクルスです。
サポーター仲間たちは、いつもようにレンタカーで遠征してたくさんの画像を送ってくれましたので、ここに紹介しながら試合の様子をお伝えします。
エスタディオ・ルイス・デ・ラ・フエンテ
エスタディオ・ルイス・デ・ラ・フエンテ | |
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施設情報 | |
所在地 | ベラクルス州ベラクルス, ハカランダス通 |
位置 | 北緯19度9分51.20秒西経96度7分30.06秒 |
開場 | 1967年3月17日 |
修繕 | 2004年 |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 105 x 70 m |
使用チーム、大会 | |
CDティブロネス・ロホス・デ・ベラクルス (プリメーラ・ディビシオン) 2006 CONCACAF U-20女子選手権 |
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収容能力 | |
26,316 |
エスタディオ・ルイス・"ピラータ"・フエンテ(スペイン語: Estadio Luis "Pirata" Fuente)は、メキシコ南東部の街ベラクルスにある多目的スタジアムである。
目次
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概要[編集]
1967年に建設された。収容人数は26,316人[1]。1981年まではエスタディオ・ベラクルスと呼ばれていた。現在のスタジアム名は、ベラクルス出身で1930年代から1950年代にかけてサッカーメキシコ代表として活躍したルイス・デ・ラ・フエンテ・イ・オジョスに由来している。
主にサッカーの試合に用いられ、プリメーラ・ディビシオンに所属するCDティブローネス・ロホス・デ・ベラクルスがホームスタジアムとして使用している。
2006年にはメキシコで開催された2006 CONCACAF U-20女子選手権の会場として使用された。また、コンサート会場としては、2006年にルイス・ミゲル、2007年にシャキーラ、2008年にマナー、2010年にエルトン・ジョンがそれぞれコンサートを開催している。
対戦相手のベラクルスは、リーグ戦8勝6敗3分けで8位だったのですが
ホームで5勝3敗1分けと強い印象があります。
事実、前シーズンはリーグ戦7勝3敗7分け(順位は3位)のうち
ホームで4勝1敗4分けと、今シーズンよりもその傾向が強かったのです。
特にサポーターの応援は熱狂的で、スタジアムが一体となって相手チームを飲んでしまうような感じ。実際PUMASも先シーズン第15節にアウェイで試合をした際に、途中まで負けていて終盤漸く追い付いて3-3の引き分けで点の取り合いになりました。
にも関わらず、スタンドには相変わらずPUMASサポーターがご覧の通り。メキシコ全国どこのスタジアムで試合をしても、必ず応援に駆け付けるファンがいるということです。
選手入場して、記念撮影。ユニフォームはアウェイ・セカンドの白色。
スタメンは、こちら。
もちろん、ベスト・メンバーです。
前半7分
いきなり、試合が動く。ペナルティエリア外の右サイドからフェルナンド・メネセスがゴール前左サイドへセンタリング。これをホセ・カルロス・ヴァンランキンがマークについていた、ダニエル・ヴィジャアルバがヘディングシュート。目測を誤ったヴァンランキンが、スリップして転倒した隙にノーマークとなり先制点。
前半は、完全にベラクルスのペース。他にも危ないシーンが何度もあったが、正キーパーのアレハンドロ・パラシオスの好セーブに助けられた感が強い。
前半28分にヴァンランキンがイエローカードを貰い、機能していないと判断したギジェルモ・ヴァスケス監督が早くも動く。マルセロ・アラトーレを36分に交代出場させる。
加えて攻撃面で全く効果が見えないフィデル・マルティネスを後半早々に見限り、代わりにダニエル・ルドゥエーニャを12分に投入。前半はリーグ戦でも見なかったような酷い試合運びだったが、後半からは漸くボールが回るようになる。さらに9分後、アレハンドロ・カストロに代わってダヴィッド・カブレラまで出場させ、何とか同点に追い付こうという構え。
しかし試合終了まで、これといったチャンスも掴めないまま。逆に、相手監督のカルロス・レイノソの策略にまんまとハマった格好。
これで準決勝進出のためには、2ndレグで最低でも1-0による勝利が必要となった。加えて、もしベラクルスが得点を挙げた場合にはアウェイゴールによる倍の重みを持つことになる。例えば1-1となった場合には、総合得点合計は2-1だが実質3-1となり、PUMASは2点以上挙げないと敗退が決まる。運命の2ndレグは、11月29日(日)オリンピック・スタジアムにおいて、正午キックオフの予定。