後列:レオナルド・クエジャール、オラシオ・サンチェス、カビーニョ、ラディスラオ・ドミンゲス、エルネスト・セルバンテス、フアン・ホセ・ムニャンテ、エンリケ・バスケス・デル・メルカド、アルトゥーロ・バスケス・アジャラ
中列:エクトル・サナブリア、ホルヘ・ベルガラ、ヘラルド・カンディド、ワシントン・オリベラ、マリオ・トレホ
前列:スペンサー・コエーロ、ウーゴ・サンチェス、ヘスス・イトゥラルデ、ホセ・ルイス・ロペス、ヘナロ・ベルムデス
PUMASは、1976-1977年のシーズン決勝でレオネス・ネグロスを破る
ハンガリー人監督:ホルヘ・マリクの指揮下にあるPUMASがグアダラハラ自治大学と対戦して、1976-1977シーズンでクラブ最初のリーグタイトルを獲得
当時両チームは強烈な決勝戦を戦い、PUMASはスコア合計で1対0でブラジル人カビーニョが決勝点を決めた。ファーストレグはアウェーゲームでハリスコスタジアムにおいて対戦。両チームとも多くの得点チャンスを作ったにもかかわらず、最終スコアはスコアレスドローであった。
セカンドレグはPUMASのホームゲームであったためオリンピック・スタジアムで試合をする予定が、当時メキシコ自治大学がストライキ中でスタジアムを使用できなかったため、アステカ・スタジアムでプレーをしなければならなかった。スペンサーのパスで挙げたカビーニョのゴールは、PUMASがリーグタイトルを初めて獲得するのに十分であった。
当時のPUMASスタメンは、ヘナロ・ベルムデス、アルトゥーロ・バスケス・アヤラ、「パレハ」ロペス、カビーニョ、フアン・ホセ・ムニャンテ、ホセ・ヘラルド・カンディド、スペンサー、レオナルド・クエジャル、そしてまだ若手だったウーゴ・サンチェスがベテラン選手たちの仲間入りを果たした。ベンチで采配を振っていたのはハンガリー人監督のホルヘ・マリックで、ボラ・ミルティノビッチを助監督にしており、後にメキシコと世界の両方でサッカーの歴史を刻むことになった。