Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

PUMASでプレーをした、リーグ優勝チームとメキシコ代表監督

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今週の土曜日イダルゴ・スタジアムでPUMASはパチューカと対戦します。パチューカを率いるデェエゴ・アロンソ監督は、2004-2005年シーズンにPUMASでプレーをし、前シーズンメキシコリーグ優勝チームの監督であります。

このためメキシコサッカー優勝チームの監督で、過去にPUMASでプレーをした選手たちを振り返ってみましょう。

 

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ボラ・ミルチノヴィッチ

1944年9月7日生まれ。国籍:セルビア・メキシコ。愛称:ボラ、奇跡の人。
セルビア(旧ユーゴスラビア)・バイナ・バシュタ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。5か国の代表監督としてFIFAワールドカップで指揮を執り、このうち4か国を決勝トーナメント進出に導いた。

PUMASで4シーズンプレーをし、メキシコ杯とCONCACAFチャンピオンズリーグ(北中米カリブ海サッカー連盟クラブ選手権)を優勝したのを最後に選手生活から引退。翌シーズンからは同クラブの監督として指導者としての道を歩み始め、1980ー19081年シーズンにチーム創設2回目、自身就任2年目でリーグ初優勝を果たす。

その評価が基となり1982年にメキシコ代表監督に抜擢され、チーム強化に着手。地元開催となった1986年FIFAワールドカップではベスト8という成績を残した。ミルティノヴィッチは現役のPUMAS所属選手や所属経験のある選手を多数招集し、ウーゴ・サンチェス、フェリクス・クルス・バルボーサ、ラファエル・アマドール、ラウール・セルビン、ミゲル・エスパーニャ、マヌエル・ネグレーテ・アリアス、ルイス・エンリケ・フローレスなどが代表に招集された。この時代のPUMASの選手たちは、PUMASのサポーターだけでなくメキシコサッカー界全体に大きな喜びを与えた。

1990年のFIFAワールドカップでは当時下馬評が高いとは言えなかったコスタリカ代表を率いて決勝トーナメント進出に導くと、「ボラ・マジック」としてさらに監督としての評価を高めた。1994年のFIFAワールドカップでは開催国アメリカ代表監督としてチームを決勝トーナメント進出へ導き、「サッカー不毛の地」と言われていたアメリカでも成功をおさめた。

1998年のFIFAワールドカップではナイジェリア代表監督を務め、スペイン代表を破るなどして決勝トーナメントに進出。2000年に中国代表の監督に就任し、2002年FIFAワールドカップ・アジア予選を突破し、初のワールドカップ出場を決めた。その一方で、中国サッカー協会との関係は不安定なものであり、2002年の本大会終了後に年齢的な問題を理由に監督業からの引退を示唆した。

2003年からはホンジュラス代表監督を務め、2006年FIFAワールドカップ出場を目指したが出場を逃した。同年からはジャマイカ代表監督に就任するも、1年足らずで解任された。ジャマイカ協会は理由を契約違反としているが、不履行についての詳細は不明。
FIFAコンフェデレーションズカップ2009においてイラク代表の指揮をとった。

 

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ミゲル・メヒア・バロン

1944年9月6日生まれ。国籍:メキシコ。

1990-1991年シーズンにはレギュラーシーズンにおいて勝ち点55という成績を収め、リギージャ(プレーオフ)決勝でライバルのクラブ・アメリカを破って優勝した。この時期には新世代の選手が登場し、ルイス・ガルシア、ホルヘ・カンポス、クラウディオ・スアレス、アントニオ・サンチョ、イスラエル・ロペス、ブラウリオ・ルーナ、ラファエル・ガルシア、ハイメ・ロサーノ、ヘラルド・トラードなどが在籍していた。

1993年にメキシコ代表監督に就任。前監督だったセサール・ルイス・メノッティのチームに対して、プレーに取り組む態度や考え方のスキームに大きな変更を加えた。これは以前のものを合併しより良い戦術的なスタイルとなり、メキシコ代表はその歴史において最も強い時代として刻まれた。例えば、CONCACAFゴールドカップ3連覇(1993、96、98年)や1993年に行なわれたコパ・アメリカにおける準優勝(過去最高位、決勝戦で惜しくもアルゼンチンに2-1と敗戦)である。ちなみに、前日本代表監督:ハヴィエル・アギーレは1993年の現役引退後すぐに指導者に転身し、1994年アメリカ・ワールドカップではこのミゲル・メヒア・バロンのアシスタントを務めていた。彼は選手時代たった1つのチームで、最後まで移籍せずに過ごした少ない選手の一人である。現在は、2014年よりティグレスにおいてリカルド・フェレッティ監督のアシスタントをしている。

 

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ウーゴ・サンチェス

1958年7月11日生まれ。国籍:メキシコ。愛称:マニート、ウーゴル、ペンタピチーチ。

オリンピック・スタジアムで育った、20世紀最優秀フォワードの一人。デビューしたPUMASで1976年から1981年までプレー、リーグ優勝2回、カビーニョと26ゴールで得点王を分け合った。

18歳でPUMASと契約し、クラブ初のリーグ制覇を果たす。自国開催であった1977年のCONCACAFチャンピオンシップにも出場。同国代表のビクトル・ランヘルに次ぐ4得点を記録して優勝に貢献した。1979年には、20ゴールを挙げて得点王にも輝いた。PUMASでの最後のシーズンでは、26ゴールで再び得点王となった。

1981年にアトレティコ・マドリードへと移籍した。1984-85シーズンにはコパ・デル・レイ、スーペルコパを獲得し、自身もピチーチ賞を獲得した。その翌年には、同じくマドリードを本拠地とするレアル・マドリードへと移籍。1980年代後半のレアル・マドリードの中心選手で、リーガ・エスパニョーラで5度の得点王に輝いた。リーガでの総得点は234得点を数え、252得点を挙げたテルモ・サラに次ぐ当時歴代2位であった。左利きで、オーバーヘッドキックの名手。ゴールを決めたあとは前方宙返りのパフォーマンスをした。ワールドカップにはメキシコ代表として3度出場(1986年大会のベスト8が最高成績)。エミリオ・ブトラゲーニョやミチェルらを擁し、キンタ・デル・ブイトレと称されたチームにあってエースストライカーとして活躍。5年連続でスペインリーグを制し、サンチェス自身も4度ピチーチ賞を獲得した。1989-90シーズンには38得点を挙げ、テルモ・サラと並んで当時のスペインリーグ年間最多得点となり、ヨーロッパ・ゴールデンブーツを獲得した。

現役引退後、2000年3月にPUMASの監督として2年契約を行った。2004年前期・後期ステージ連覇(2ステージ制になってから、当時初)を果たし、2004年には古巣のレアル・マドリードとトロフェオ・サンティアゴ・ベルナベウで対戦し、1-0で勝利した。2005年のコパ・スダメリカーナでは決勝まで勝ち進み、決勝のボカ・ジュニアーズとの試合はPK戦にもつれ込んだが、論議を醸したロベルト・アボンダンシェリのPKストップの前に敗れた。その後2006年南アフリカW杯を見据えて、メキシコ代表監督に就任。しかし2007年のCONCACAFゴールドカップで優勝を逃し、さらに北京オリンピック・北中米カリブ海予選も敗退し、約束としていたゴールドカップ優勝とオリンピックでのメダル獲得が成らなかったことにより解任された。

 

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リカルド・フェレッティ
1954年2月22日生まれ。国籍:ブラジル。愛称:トッカ。

1978年から1985年、1990年から1991年にPUMASでプレー。その力強いシュートで、1990年ー1991年シーズンにおいて3度目のリーグ優勝を果たす。
監督としてはチバスで1997年に、PUMASで2009年に、ティグレスで2011年と2015年にそれぞれ4度のリーグ優勝を果たす。さまざまな議論を巻き起こす半面、自身のプレーと人柄でどんなチームであっても率いるチームを主役にする力を持っている。

2005年から2006年にかけての国内リーグでは、2005年後期ステージで16位、前期ステージで16位、2006年後期ステージで10位、前期ステージで16位と低迷し、2部リーグ降格の危機に瀕した2006年7月にPUMASの監督として就任。チームに安定性と統制をもたらして降格を回避し、2007年前期ステージでは3年ぶりにリギージャ(プレーオフ)決勝に進出したが、アトランテFCに2試合合計1-2で敗れて惜しくも準優勝。2009年後期ステージでは再びリギージャ(プレーオフ)決勝に進出し、CFパチューカを延長戦の末に破って6回目のリーグ優勝を果たした。

 

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メキシコ代表監督として、昨年解任されたミゲル・エレーラ前監督の後に現フアン・カルロス・オソリオ監督が就任するまでの間、暫定監督として2015年10月10日にCONCACAFゴールドカップ王者決定戦(2013年の覇者、米国と2015年の覇者、メキシコの対戦=2017年FIFAコンフェデレーションズカップの北中米カリブ海地域代表の決定戦)に見事勝利を収めた。

 

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ギジェルモ・バスケス
1967年5月25日生まれ。国籍:メキシコ。愛称:メモ。

1984年にPUMASでデビュー。その間、中盤に置いて冷静さとコントロールを与えたMFであった。2006年、2011年後期ステージ優勝をもたらせた2010年~2012年、2015年前期ステージ準優勝をもたらせた2014年~2016年の3シーズンを率いた。リカルド・フェレッティ監督が退任した2010年7月に就任。2011年後期ステージはレギュラーシーズン8位だったが、リギージャ(プレーオフ)準々決勝ではクルス・アスル(レギュラーシーズン首位)を、準決勝ではモンテレイ(レギュラーシーズン2位)、決勝ではモナルカス・モレリア(レギュラーシーズン3位)を破り、7回目の優勝を果たした。

 

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今週末対戦するパチューカ率いるディエゴ・アロンソ監督が、果たしてPUMASの監督としてリーグ優勝をする日がいつか来るのでしょうか??