Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

通算最多得点第5位:ルイス・フローレス(101得点)

 

ルイス・エンリケ・フローレス・オカランサ

身長:175cm 体重:不明

1961年7月18日生まれ(61歳)

デビュー:1980年(PUMAS)

経歴:1980~1986,1987~1988年PUMAS(199試合101得点)、1986~1987年スポルティング・デ・ヒホン(32試合10得点)、1988~1989年バレンシアCF(共にリーガエスパニョーラ、36試合6得点)、1989~1991年クルス・アスル(50試合20得点)、1991~1993年CFアトラス(47試合12得点)、1993~1995年CDグアダラハラ(7試合無得点)

個人タイトル:1988年メキシコサッカー1部リーグ得点王(PUMAS)

 

 

PUMAS下部組織出身。1980年、メキシコサッカー1部リーグデビュー。リーグ優勝とコパ・インテルアメリカーナ(南米サッカー連盟主催のコパ・リベルタドーレス優勝クラブと北中米カリブ海サッカー連盟主催のCONCACAFチャンピオンズカップ優勝クラブが出場し、アメリカ大陸最強クラブの座を争う)を果たす。1986年にはリーガエスパニョーラのスポルティング・デ・ヒホンへ移籍。最初のシーズンにおいて31試合で12得点。その後一度帰墨して1シーズンのみPUMASでプレーをしたが、再びリーガエスパニョーラのバレンシアCFへ移籍するも、36試合6得点に留まる。さらにその後、再び帰墨しクルス・アスル、CFアトラスやCDグアダラハラなどのクラブでプレーをした。

1983年にメキシコ代表デビュー。1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会や1993年コパ・アメリカ(南米サッカー連盟が主催する、世界最古の代表チームによるサッカーの大陸選手権大会。旧称は南米選手権)エクアドル大会で準優勝。1994年FIFAワールドカップ・米国大会にも出場し、62キャップ29得点をマーク。

プロサッカー選手として引退後、PUMAS(1996前期ステージ~1997年前期ステージ)やティブロネス・ロホス・デ・ベラクルス(1999年)、セラヤFC(2000年、共にメキシコサッカー2部リーグ)の監督を歴任し、2005年にはクルブ・ネカクサのスポーツディレクターを務めた。