Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

通算最多得点第4位:ウーゴ・サンチェス(104得点)

 

ウーゴ・サンチェス・マルケス

身長:174cm 体重:不明

1958年7月11日生まれ(64歳)

デビュー:1976年10月23日、PUMAS

経歴:1976~1981年PUMAS(200試合104得点)、1981~1985年アトレティコ・マドリード(152試合82得点)、1985~1992年レアル・マドリード(共にリーガエスパニョーラ、283試合208得点)、1992~1993年クラブ・アメリカ(35試合18得点)、1993~1994年ラージョ・バジェカーノ(35試合17得点)、1994~1995年アトランテFC(31試合13得点)、1995~1996年LASKリンツ(オーストリアサッカー1部リーグ、20試合16得点)、1996年FCダラス(メジャーサッカーリーグ、25試合11得点)、1996~1997年セラヤFC(12試合2得点)

タイトル:

1977、1981年メキシコサッカー1部リーグ優勝(PUMAS)

1980(PUMAS),1992年(クラブ・アメリカ)CONCACAFチャンピオンズリーグ

1980年コパ・インテルアメリカーナ(コパ・リベルタドーレス優勝クラブとCONCACAFチャンピオンズリーグ優勝クラブが出場し、アメリカ大陸最強クラブの座を争う)優勝(PUMAS) 

1984(アトレティコ・マドリード),1988年(レアル・マドリード)国王杯

1986,1987,1988,1989,1990年リーガエスパニョーラ

1986年UEFAヨーロッパリーグ

1988,1989,1990年スペインスーパーカップ(共にレアル・マドリード)

1996年オーストリアサッカー2部リーグ(LASKリンツ)

個人タイトル:

1978年メキシコサッカー1部リーグ得点王(カビーニョと同点)

1977,1978年メキシコサッカー1部リーグ・バロンドール(最優秀サイドバック)

1978年メキシコサッカー1部リーグベストイレブン(全て、PUMAS)

1981年FIFAワールドカップ・スペイン大会・北中米カリブ海地域予選得点王

1984,1985(共にアトレティコ・マドリード),1986,1987,1989年(共にレアル・マドリード)ピチーチ賞(リーガエスパニョーラ得点王)

1989年ヨーロッパ・ゴールデンブーツ(レアル・マドリード、各国リーグ最多得点王・フリスト・ストイチコフと同点)

1986,1989年ドン・バロン・アワード(レアル・マドリード、リーガエスパニョーラ最優秀外国人選手)

1992年CONCACAFチャンピオンズリーグ得点王(PUMAS)

2000年20世紀最高のメキシコ人スポーツ選手、20世紀最高のメキシコ人、CONCACAFサッカー選手、20世紀の世界で26番目に優れたサッカー選手(全て。国際サッカー歴史統計連盟)、リーガエスパニョーラ史上 4 番目の得点王(234得点)、1部リーグ史上11人目の得点王(400得点)、ワールドカップにおけるキャリア最長選手(世界第2位、初出場~最終試合計16年17日)

2004年FIFA史上ベスト100選手(国際サッカー連盟主催100周年記念式典にてペレが選出)

2003,2004年メキシコサッカー1部リーグ・バロンドール(最優秀監督賞)

2010年ゴールデンフット賞(すでに引退した偉大な選手)

2011年FIFAサッカー殿堂入り

 

 

PUMAS下部組織出身。メキシコユース代表に入るテストへの不安やこだわりがあったため、1970年代に指揮を執ったことのあるディエゴ・メルカドや元メキシコ代表で各ユースチームのコーチであったアルフォンソ・ポルトガルから誘われて、1969年に11歳でPUMASクラブ・アカデミーへ。1部リーグデビューは18歳であった1976年10月23日、ヌエボ・レオン州立大学スタジアムにおいて、対UANLティグレス戦(1-0)。初得点は1977年3月27日、アステカ・スタジアムにおいて対クラブ・アメリカ戦(1-2)。オフシーズンには、サンディエゴ・ソッカーズ(北米サッカーリーグ=メジャーインドアサッカーリーグ、32試合26得点)でもプレー。デビューイヤーに、クラブ史上初のリーグ優勝を飾る。3シーズン目には、26得点で同僚のカビーニョと並んでリーグ得点王に輝く。1980年には、CONCACAFチャンピオンズリーグ(3得点)、コパ・インテルアメリカーナ(2得点)の2冠を達成。1981年にはクラブ史上2度目のリーグ優勝を飾り、計200試合で104得点を記録した。

1981年に23歳で渡欧して、リーガエスパニョーラのアトレティコ・マドリードへ移籍。4シーズン目には国王杯とスペインスーパーカップを獲得。19点を挙げて、ピチーチ賞(リーガエスパニョーラ得点王)に輝く。1985年にレアル・マドリードへ移籍。エミリオ・ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサ、マヌエル・サンチス・オンティジュエロを擁するハゲワシ部隊と称されたチーム内で、特に多くの得点を決める選手として活躍。移籍1シーズン目にリーグ戦で22得点を挙げ、リーグ優勝やUEFAカップ制覇に貢献。以降も4シーズン連続でリーガエスパニョーラを制し、サンチェス自身も4度ピチーチ賞(リーガエスパニョーラ得点王)を獲得。1989年には38得点を挙げ、ヨーロッパ・ゴールデンブーツ(各国リーグ最多得点王・フリスト・ストイチコフと同点)を獲得した。2014年3月23日にリオネル・メッシに抜かれるまで、20 年以上にわたってリーガエスパニョーラの外国人選手得点王であった。

1992年帰墨して、クラブ・アメリカへ移籍。CONCACAFチャンピオンズリーグ決勝では、対LDアラフエレンセ戦(1-0)で決勝点を決めて優勝。

翌年には再びリーガエスパニョーラのラージョ・バジェカーノへ戻り、29試合出場して16得点。リーガエスパニョーラ通算347試合234得点という記録を樹立した。

1994年には再度帰墨して、今度はアトランテFCへ移籍。1992年にレアル・マドリードを率いたレオ・ベーンハッカー監督擁する総合順位表首位であった対クラブ・アメリカ戦において4-1で破り、多くの論争を巻き起こした。皮肉なことにアトランテFCの監督は、ゴールキーパーであった選手時代に悪名高いライバル関係でもあったリカルド・ラ・ボルペだった。その後、LASKリンツ(オーストリアサッカー2部リーグ)やFCダラス(メジャーサッカーリーグ)を経て、選手キャリア最後のチーム:セラヤFCではかつてレアル・マドリードのチームメイトであったエミリオ・ブトラゲーニョやミチェルと共にプレーをした。

メキシコ代表歴(55試合29得点):

1975年に17歳でアンダー20ワールドユース選手権・フランス大会へ出場(決勝でポーランド代表を2-0で破り、優勝)。当時有名アナウンサーであったアンヘル・フェルナンデスをして、ゴールデンボーイと言わしめるほどの活躍を見せる。同年パンアメリカン競技メキシコ大会でも、金メダルを獲得。加えて翌年には、1976年夏季オリンピック・モントリオール大会にも出場(予選リーグ敗退)した。

1978年9月27日のアステカ・スタジアムにおける対米国戦(3-0)でA代表デビュー。A代表初得点は、10月9日同じくアステカ・スタジアムにおけるFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会への北中米カリブ海地域予選、対ハイチ戦(4-1)。翌年6月2日に本大会初出場(予選リーグ初戦の対チュニジア戦。結果、予選リーグ敗退)。

1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会では、予選リーグ初戦の対ベルギー戦(2-1)においてヘディングシュートで勝ち越し点。その後得点する機会に恵まれず、2戦目の対パラグアイ戦ではペナルティキックを外す始末。決勝トーナメント進出した準々決勝は、対ドイツ戦でペナルティキック決着に敗れた。

1993年5月9日、FIFAワールドカップ・米国大会への北中米カリブ海地域予選で対カナダ戦(2-1)において得点を挙げ、1978年以来の開催国以外での出場を決める。その後、コパ・アメリカ(南米サッカー連盟が主催する、世界最古のサッカー代表チームによる大陸選手権大会。旧称は南米選手権)・エクアドル大会に出場。惜しくも決勝戦でアルゼンチン代表に1-2で敗れ、準優勝。

選手時代の有名なゴールパフォーマンスは、バック転をして両手でガッツポーズである。これは、現在現役のTOPチームに在籍しているエマヌエル・モンテハーノが引き継いでいる。

2000年3月6日にオリンピック・スタジアムにおける後期ステージ第11節対クルブ・ネカクサ戦において、PUMASの監督として指導者デビュー。ちなみに現在は慣習となっている、選手がスタジアム入場時に行われるクラブ・アンセム斉唱は、このウーゴ・サンチェスが監督となってから始められた。そのシーズンは準決勝進出したが、首脳陣との意見の食い違いで翌シーズンに解任。2001年前期ステージで、再び復帰。2002年前後期ステージにおいて、準決勝進出(総合順位表第3位)。2003年2月4日には、コパ・リベルタドーレスにおいて対グレミオFBPA戦(2-3)で初出場。ラウンド16の対CDコブレロア戦(0-1)で敗退した。数年後にはそれまでどのクラブも成し遂げることが出来なかった、2部制になって初のリーグ連覇。そして、当時銀河系軍団と呼ばれたレアル・マドリードを相手に、サンティアゴ・ベルナベウ杯でアウェーゲームにおいて1-0と勝利する大金星を挙げた。