Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

通算最多得点第3位:マヌエル・ネグレテ(112得点)

 

マヌエル・ネグレテ・アリアス

身長:170cm 体重:68kg

1959年3月11日生まれ(63歳)

デビュー:1979年9月23日、PUMAS

経歴:1979~1986、1987~1990、1991~1992年年PUMAS(370試合112得点)、1986年スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル(ポルトガルサッカー1部リーグ、15試合3得点)、1987年スポルティング・デ・ヒホン(4試合1得点)、1990~1991年CFモンテレイ(27試合無得点)、1992~1993、1995~1996年アトランテFC(30試合3得点)、1993~1994年ネサFC(19試合3得点)、1994~1995年インテルナシオナル・デ・アカプルコFC(メキシコサッカー2部リーグ、成績不明)

タイトル:1981年(PUMAS)、1993年(アトランテFC)メキシコサッカー1部リーグ優勝、1980年コパ・インテルアメリカーナ(アメリカ大陸最強クラブ決定戦=コパ・リベルタドーレス優勝クラブ対CONCACAFチャンピオンズカップ優勝クラブ、PUMAS)、1980,1982,1989年CONCACAFチャンピオンズカップ(PUMAS)

 

 

1959年3月11日、メキシコ、ゲレロ州アルタミラーノ市出身、メキシコの元サッカー選手、コーチ、政治家。 彼はミッドフィールダーとしてプレーし、彼の最初のチームはメキシコサッカー1部リーグのPUMASであった。 彼は20年以上在籍し、常に背番号22番でプレーしていた。2003年メキシコサッカー2部リーグにおいて3部リーグへ降格の危機にあったアトランテFCを監督して救い、その後同リーグのクラブ・レオンを総合順位表首位に。最後に指揮を執ったチームは同リーグのペトロレロス・デ・サラマンカであったが、1部リーグ昇格争いでクラブ・ティファナに敗れた。

2018年 10月1日から2021年3月2日までコヨアカン市長を務めた。2012年11月13日、メキシコサッカー殿堂入り。

1986年FIFAワールドカップ・メキシコ大会で代表招集。チームは、1970年自国開催時同様の自己ベストである決勝トーナメント準々決勝まで進出。彼は6月15日にアステカ・スタジアムにおいて行われた決勝トーナメント初戦の対ブルガリア戦で、前半34分ハビエル・アギーレから受けたパスをペナルティーエリアの外から豪快に決めたダイレクトボレーがあまりにも有名であり、大会ベストゴールとしてスタジアムにプレートが彫られて残っている。またFIFA100年の歴史というDVDには、ワールドカップ史上第5位の美しいゴールとして掲載されている。メキシコ代表は準々決勝で対ドイツ戦においてペナルティキック決着までもつれ、唯一決めたキッカーであった。