ルイス・ガルシア・ポスティゴ
身長:172cm 体重:不明
1969年6月1日生まれ(53歳)
デビュー:1986年月日(PUMAS)
経歴:1986~1992年PUMAS(195試合92得点)、1992~1994年アトレティコ・マドリード(73試合33得点)、1994年レアル・ソシエダ(共にリーガエスパニョーラ、10試合無得点)、1995~1997年クラブ・アメリカ(78試合40得点)、1997~1998年アトランテFC(29試合14得点)、1998~1999年CDグアダラハラ(56試合20得点)、1999~2000年モナルカス・モレリア(17試合9得点)、2000年プエブラFC(1試合1得点)
タイトル:1990年メキシコサッカー1部リーグ、1989年CONCACAFチャンピオンズリーグ(共にPUMAS)
個人タイトル:1990,1991(共にPUMAS),1997(アトランテFC)年リーグ得点王、1990,1991年最優秀フォワード(共にPUMAS)、1995年コパ・アメリカ、ウルグアイ大会得点王
PUMAS下部組織出身。1990年シーズンのリギージャ決勝でクラブ・アメリカを破り、リーグ優勝。同年と翌年度に連続リーグ得点王に輝く(計75得点)。その後、アトレティコ・マドリードへ移籍。1年目のシーズンで29試合17得点という素晴らしいパフォーマンスを見せたが、それまでの瞬間がリーガエスパニョーラにおけるメキシコ人選手としてベストデビューであった。翌シーズンにはそのパフォーマンスを落とし、加えてクラブにおけるリーダーシップの顕著な違いが生まれた。その後半年間レアル・ソシエダでプレーをしたが、同リーグ在籍中最も悪い時期を過ごした。その後メキシコへ戻り、クラブ・アメリカからアトランテFCへ。1997年前期ステージで再び得点王に。1998年にはCDグアダラハラへ移籍、リギージャ決勝まで進出したがクルブ・ネカクサに敗れた。キャリア終盤にはモナルカス・モレリアへ移籍するものの、CDグアダラハラ首脳陣との意見の対立が生じ、選手の意向に反してプエブラFCへ移籍させられ、1試合しか出場機会を得られなかった。
1990年にメキシコ代表デビュー、計78キャップで29得点というメキシコ代表史上第7位タイをマーク。FIFAワールドカップ1994年米国大会では、予選リーグE組の対アイルランド戦で2得点するも、イエローカード2枚で退場処分に。全チームが1勝1敗1分けとなり、得失点差でメキシコ、アイルランド、イタリアが決勝トーナメント進出。1回戦対ブルガリア戦でドローの後ペナルティキック決着で1ー3と敗れた。続く1998年フランス大会にも召集されたが、1試合にも出場せず終わった。コパ・アメリカ1995年ウルグアイ大会では、大会得点王に。代表引退前の最終試合は、2000年の対エクアドル戦。
2000年には選手として引退。テレビシオン・アステカのコメンテーター及びジャーナリストとして活動。2002,2006,2010,2014,2018年のFIFAワールドカップや2007,2011,2015,2016,2019年のコパ・アメリカにおいて、コメンテーターを務めた。