この両チームにそういった経緯があるか?ないか?は、私のようにその時代にメキシコにいなかった人間でも、試合当日の会場全体の空気を吸えばすぐに理解できるくらい違います。
私が2013年春にメキシコへ戻って来て、最初のシーズンのリギージャ(決勝トーナメント)の準々決勝でのPUMASと対戦したのが、アメリカでした。当時アメリカにはクリスティアン・ベニテスというエクアドル代表でメキシコリーグで4回得点王に輝いた、絶対的エースがいました(その後、カタールのクラブへ移籍後、死去)。ホームアンドアウェイで戦ってはじめはPUMASが先制するのですが、必ず最後はベニテスにやられるといった屈辱的な展開で敗退しました。
その後のレギュラーシーズンでこの両チームが対戦した試合は、全て生で観戦しました。翌シーズンは大雨のオリンピックスタジアムで4対1の大敗、翌シーズンはアステカスタジアムでダニエル・ルデーニャによるゴールショーで3対1で圧勝。その後もアステカスタジアムで接戦を制してPUMASが勝利、つい最近のリギージャではホームで勝ちながらアステカで最後に1点入れられ惜しく敗退といった具合です
2014年3月にそれまで住み慣れたメキシコシティから仕事の関係でアグアスカリエンテスへ移住して、PUMASの試合を見に行くのに高速バスで6時間かかる旅程を厭わず行ける回数にも限度がありました。
それでも、このクラブ・アメリカとのクラシコ・カピタリーノ(首都のダービー)だけは必ず欠かさず見に行っていました。当然このメキシコリーグ 2014年前期ステージも例外ではありませんでした。
エスタディオ・アステカ
エスタディオ・アステカ Estadio Azteca |
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施設情報 | |
所在地 |
Calzada de Tlalpan No. 3665 Col. Santa Úrsula Coapa Del. Coyoacán CP 14370 Distrito Federal |
起工 | 1965年 |
開場 | 1966年5月29日 |
修繕 | 1985年 |
所有者 | Televisa |
運用者 | クラブ・アメリカ |
グラウンド | 天然芝 |
ピッチサイズ | 105 x 68 meters |
建設費 | Mex$ 260,000,000 |
設計者 | ペドロ・ラミレス・バスケス |
使用チーム、大会 | |
クラブ・アメリカ (プリメーラ・ディビシオン) | |
収容能力 | |
105.064 |
エスタディオ・アステカ (Estadio Azteca) は、メキシコ・メキシコ連邦区メキシコシティにあるサッカー専用スタジアムである。別名アステカ・スタジアム。
概要
1966年にメキシコシティオリンピック、サッカー競技会場の一つとして建設された。収容人員は10万5064席で、世界で最も巨大なスタジアムである。かつては13万1260人の収容能力を誇ったが、1990年に行われたスタジアムの改築により現在の収容数に減少している。
現在、メキシコ代表と地元のサッカークラブであるクラブ・アメリカがホームスタジアムとして使用している。天井から螺旋状に吊り下げられているスピーカーが特徴で、午後早い時間に行われたワールドカップサッカーの試合では、センターサークル付近にスピーカーの影が映っていた。
またこのスタジアムは1970年、1986年の2度のFIFAワールドカップ開催の際はメインスタジアムとして使用され、決勝戦もこのスタジアムで行われた。
前述のメキシコシティオリンピックでは日本代表が地元のメキシコ代表とこのスタジアムで3位決定戦を戦い、釜本邦茂の2得点で勝利、銅メダルを獲得した。
サッカーファンの間では前者はペレらの活躍でブラジル代表が3度目の優勝を果たしジュール・リメ杯を永久保持した場所として、後者はディエゴ・マラドーナの『神の手』ゴールや『5人抜きドリブル』の活躍等によりアルゼンチン代表が2度目の世界王者に輝いた場所として知られる。
それは、ある夏の日のことでした。自分が居候していた場所から歩いてすぐの葬儀屋をしていたエドワルド(いま現在自分が所属している、サポーター仲間たちへ紹介してくれた親友)と歩いて数分のロケーションにある会場=アステカ・スタジアムへ。
天気も、はじめはこんな感じで良かったのですが・・・。
オリンピック・スタジアムでも見受けられる、警察の騎馬隊。
試合開始から数時間前に到着。まだ、あまり観客も来ていません。
これは電車などが通るスタジアム正面ではなく、反対側の入り口。
こちら側に、対戦チームのサポーターが陣取るスタンドがあります。
スタジアム外にある溜まり場で食事をしたりして、時間を潰してから再び会場へ。
しかし、入場する際には通り雨が降っていました。みんなと合流して、いざ入場!
結構な雨量だったので、地面も濡れています。
騎馬隊の警察官も、レインコートを着ています。
入場したのは、5番ゲート。
この通路を上って、2階のスタンドへ。
ちなみ、この地域一帯はサンタ・ウルスラという名前の住宅街です。
遠くに見えるアフスコの山並み。
普段のPUMASによるホームゲームではオリンピック・スタジアムではレーベルというサポーターが陣取る『ベベテロ』と、我らプルスが陣取る『パロマール』に別れるのですが、ここアステカ・スタジアムではこうしてお互いが一緒に陣取ります。
間もなくして、両チーム選手たちによるウォーミングアップが開始。
そして、選手入場。
センターサークル付近まで来て、整列。
試合開始前に、円陣を組んで気合いを入れます。
前半6分にクラブ・アメリカのパウロ・アギラールを皮切りに、PUMAS選手3人に対してイエローカードが出るくらい激しい試合に。
お互い得点をあげることが出来ないまま、このまま試合終了かと思われた後半43分。
PUMASディフェンダーからロングフィードされたボールをペナルティエリア左サイドで受けたダンテ・ロペスが、マークについた相手ディフェンダーをワントラップで交わして咄嗟のループ・シュート。これが見事キーパーの頭上を越えて、決勝ゴールに。
これまでこのステージ6試合負けなしだったのに対し、不調だったPUMASがアウェイで起死回生の勝利で首都ダービーを制したのでした。