Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

通算最多得点第15位:ガルシア・アスペ(45得点)

 

アルベルト・ガルシア・アスペ・メナ

身長:169cm 体重:不明

1967年5月11日生まれ(55歳)

デビュー:1984年(PUMAS)

経歴: 1984~1991年PUMAS(207試合45得点)、1992~1997年クルブ・ネカクサ(232試合75得点)、1995年CAリーベル・プレート(アルゼンチン1部リーグ、43試合10得点)、1997〜1999年クラブ・アメリカ(74試合13得点)、1999~2002年プエブラFC(97試合29得点)

タイトル:1990年(PUMAS)、1995,96年メキシコサッカー1部リーグ、1995年メキシコ杯、メキシコスーパーカップ(クルブ・ネカクサ)、1989年CONCACAFチャンピオンズリーグ(PUMAS)、1999年CONCACAFカップウィナーズカップ(クルブ・ネカクサ)

個人タイトル:FIFAワールドユース選手権(1985年ソ連大会)得点王

メキシコ代表歴:109キャップ21得点

1996年CONCACAFゴールドカップ、1999年FIFAコンフェデレーションズカップ

 

 

彼の特徴は、常に努力の鬼。最高のミッドフィールダーではないかも知れないが、強力なキックで相手選手たちが怯える技術を持っていた。フリーキックとペナルティーキックのスペシャリストであった彼は、正確で力強いタッチを持っていた。

当時才能のある選手を見つけてトレーニングをするスペシャリストであり、メキシコ代表選手を続々と輩出したPUMAS下部組織出身選手であり、1991年シーズンで1部リーグ優勝すると、翌年クルブ・ネカクサへ移籍。ルイス・エルナンデス、ニコラス・ナバーロ、ラトン・サラテ、アレックス・アギナガやイボ・バサイら素晴らしい選手たちを集めた黄金時代、戦術の天才:マヌエル・ラ・プエンテ監督による指導の下、チームの中盤を司る地位を確立すると同時に、誰もが認めるメキシコ代表チームのキャプテンであった。

ミゲル・メヒア・バロン監督が率いた1990年代のメキシコ代表チームの中心的存在。 彼は生まれながらのリーダーであり、質と個性を兼ね備えたサッカー選手であった。FIFAワールドカップ3大会連続(1994年アメリカ大会、1998年フランス大会、そして2002年日韓共催大会)で出場し、全てベスト16入り。通算2得点を挙げているが、いずれもペナルティーキックによるものである。

また当時のメキシコ代表は、本来であれば格上である南米各国とも国際大会では互角にしのぎを削っていて、コパ・アメリカ(南米サッカー連盟が主催する、世界最古の代表チームによる大陸選手権大会。旧称は南米選手権)1993年エクアドル大会準優勝、1995年ウルグアイ大会ベスト8、1999年パラグアイ大会第3位、2001年コロンビア大会準優勝という成績を残した。