Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

通算最多得点第6位:ヘスス・オラルデ(83得点)

 

ヘスス・ハビエル・オラルデ・オルティス

身長:172cm 体重:不明

1974年5月5日生まれ(48歳)

デビュー:1993年2月3日(PUMAS)

経歴:1992~2000年PUMAS(230試合83得点)、2000~2005年UANLティグレス(146試合35得点)、2006年アトランテFC(30試合3得点)、2007~2008年ロボス・デ・ラ・BUAP(30試合6得点)

個人タイトル:1999年メキシコサッカー1部リーグ・バロンドール、得点王(共にPUMAS)

 

 

PUMAS下部組織出身。1992年2月3日、対レオネス・ネグロス(グアダラハラ大学)戦でメキシコサッカー1部リーグデビュー。初得点は、オリンピック・スタジアムにおけるレペチャヘ(敗者復活戦)の対UANLティグレス戦2ndレグ(1-4)。4点目を決めたにも関わらず、1stレグを0-3で落としていたため、リギージャ(プレーオフ)進出はならなかった。キャリアにおいて最高の瞬間は、1999年前期ステージ。15試合15得点でクラブ史上6人目のシーズン得点王に輝いた。しかしながら、PUMASでリーグ優勝を果たす夢は叶わなかった。

2000年前期ステージに、UANLティグレスへ移籍。そして2001年前期ステージで、レギュラーシーズン総合順位表首位でリギージャ進出。準々決勝、準決勝を勝ち上がり、決勝でCFパチューカと対戦。1stレグをアウェーにおいて0-2で敗れ、ホームの2ndレグを1-1のドローで、惜しくもリーグ準優勝。その後負傷して出場機会に恵まれず、2003年後期ステージの後半でプレーをすることが出来なくなってしまった。その後アトランテFC、ロボス・デ・ラ・BUAPと転々としたが、かつてのレベルを再び取り戻すことはなかった。

2002年FIFAワールドカップ・日韓大会の北中米カリブ海地域予選の際に、エンリケ・メサ監督からメキシコ代表へ招集。親善試合2試合のみのプレーで終わり、2003年に2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会の北中米カリブ海地域予選の際に、再びリカルド・アントニオ・ボルペ監督から招集されたものの、怪我でその期待に応えることが出来なかった。