Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

マルタさんの家

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元NHKアナウンサー・山本浩さんが1985年10月26日に日本サッカー代表がワールドカップ初出場をかけ、アジア地区予選で韓国と対戦した際に放送を開始するに当たって言った「東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいてきているような気がします」というほど、メキシコシティの空は今日も快晴です。

 

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 現在の人口約892万人、標高が約2,240mと高く、周囲を山に囲まれた盆地に形成された大都市:メキシコシティは1428年頃から1521年までの約100年間、テスココという湖が広がるのみだったメキシコ盆地をメソアメリカ文明の国家:アステカの人々が開拓し、1325年に島を作り上げ、その土地にテノチティトランという最盛期には人口が20〜30万人の規模となり、ピラミッドが築かれるほどの壮麗な都市を築きました。
 

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今はその面影を残す場所も少なくなりましたがこの街の空を見上げる時、当時は一体どんな感じだったのだろうかと今から700年以上も前の姿を想像してみたり、自分が初めてこの街に来た約30年前の頃を思い出してみたりします。母親が「この息子には東京よりも、メキシコの空の下が合っているのかねぇ。」と呟いていたことがありましたが、確かにその通りです。
 

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話は本題から少し逸れましたが、マリー叔母さんの家で約3週間ほど居候した後、3年前に日本から3度目となるメキシコへ移住した頃に住んでいた同じ団地内にあるマルタさんという方の家の1室を再び借りることにしました。
 

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当時は大学生の学生寮みたいに学生たちが、全部で6〜7部屋ある大きい家をそれぞれ借りて過ごしていました。当然のことながら大きな話し声や夜は深夜まで食堂で騒いでいたので、住みにくかった印象が強いです。
 

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ただこのコロナ禍で彼らは全員出ていってしまい、今は自分だけが住んでいるという状況なので非常に住みやすいです。
 

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3月から就職した会社は主に日本食料品を輸入して販売しているところで、現在は新人社員として研修中(ホームオフィス)です。社員が本来のように事務所へ通勤するのはおそらく6月ごろではないかということなので、当面はこの家の部屋を借りながらその時が来たら、会社から近い場所へ再び引っ越しをするつもりです。