Pumas de la UNAM

メキシコサッカー1部リーグのクラブ・ウニベルシダ・ナシオナルを応援している日本人の備忘録

現地で指導する3人の日本人指導者が語る、メキシコの独特な育成システム

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あまりよく知られていないメキシコサッカー1部リーグですが、今までこのブログでご紹介した若手起用ルール(メキシコ1部リーグのルール『20/11』)の他に、外国人選手の起用制限などについて詳しく触れている記事がありましたので、ここにご紹介します。

 

何が言いたいか?というと、メキシコサッカーA代表は現在最新FIFAランキングで第11位であり、ここ近7回のワールドカップでは全てベスト16止まりであるものの、過去2度の自国開催ではベスト8に進出しており、第1回大会より全21回中16回出場している強豪国である。さらにはここ数年のアンダー世代による成績は下記のような理由によって目ざましく、あと6年後に行われる3ヶ国共催による3度目の自国開催大会では今まで以上の成績をあげるであろうということです。

 

「本番に強い選手を育てる」 メキシコのタフな"育成ピラミッド"、現地日本人コーチが解説 | Football ZONE WEB/フットボールゾーンウェブ

「本番に強い選手を育てる」 メキシコのタフな"育成ピラミッド"、現地日本人コーチが解説 | Football ZONE WEB/フットボールゾーンウェブ

 

◆アンダー世代とはいえ、3人もの日本人指導者がメキシコでは活躍している

リーグ1部のケレタロFCでアンダー20アシスタントコーチとアンダー14監督を務める塩沢拓也氏、同じくケレタロFCでアンダー16アシスタントコーチを務める給田洋右氏、そしてアンダー23メキシコ代表でコーチを務める西村亮太氏

 

◆メキシコでは年代別代表選手のほとんどが、国内1部クラブに所属している

これは国内1部リーグのルールで、1部のクラブはアンダー17と20はトップチームと同じ日程で同じ相手とリーグ戦を戦う。そして、その年齢区分も国際大会の基準と同じと徹底している。

リーグ戦だけでなく、18チーム中上位8チームが進むことができる「リギージャ」と呼ばれるプレーオフも、アンダー17と20も同様にホーム&アウェーで行われる。若い時から負けられない戦いをより多く経験させることで、代表チームにも本番に強い選手が集まってほしいというメキシコサッカー連盟の意図が反映されている。

リーグは前後期の年2回。ひずみなく、年代ごとに若手が育つようにとトップの1部リーグ、アンダー17と20ではそれぞれ若手起用ルールが設けられており、一つの年代にだけチャンスが与えられることはない。コンスタントに若手を育て、将来的にA代表でも結果を残せるようにするために設けられているのが、若手起用ルール

メキシコの1部ではベンチ入り18人のうち、外国人選手が9人までベンチ入り可能というルールがあり、チームは12人まで外国人選手を保有できる。つまり若手起用ルールは、外国人偏重になり、若手が育たないことを懸念してのルールでもある。また、14チームで構成される2部リーグにも同様のルールがあり、試合数の違いから、設定されている出場時間は計722分とされている(※ただし今回の5年間で消滅という決定により、今後は未定)。

メキシコサッカー1部、2部リーグによる昇格と降格は5年間凍結

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メキシコサッカー1部リーグの会長は、2部リーグの2020年後期ステージが終了し、リーグ王者は誕生しないことを報告

メキシコサッカー1部リーグのエンリケ・ボニージャ会長は、近年成長が停滞している経済危機を踏まえると、2部リーグを統合するために、今後5年間は1部リーグ昇格と2部リーグ降格が抑制されることを明らかに。

 

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「メキシコサッカー2部リーグのチームを救済するための会議が召集され、そのために目標とするスケジュールを定めたプロジェクトに携わる人々が参加する受け皿を作成することに合意した。」と、ボニージャはビデオ会議で述べた 。

 

各クラブの財政難が鍵となった

さらにボニージャは、メキシコサッカー2部リーグにおける大半のクラブが財政難を抱えていることを説明。当カテゴリーの2020年後期ステージトーナメントは完全に中止することが決定されたため、リーグ王者は存在しなくなった。

「リーグ王者なしで2019-2020年シーズンを終了することが決定された」と、エンリケ・ボニージャ会長は述べた。さらに明らかにしたことは、当カテゴリーに属する計12のクラブは、すべてのチームの要求に応じて分配される緊急時資金6000万ペソ(約2億7300万円)の経済的報酬を受け取ることで統合されるということである。

またメキシコサッカー1部リーグのオーナー会議では、次の部門に残るすべてのクラブに年間2,000万ペソ(約9100万円)の資金を提供し、開発を続けて財政を強化することが決定された。

 

自身の新型コロナウィルス感染から回復 

エンリケ・ボニージャ会長は同時に1週間前に発覚した自身のコロナウイルス感染より、完全に回復したことを報告する機会を得た。このため彼はメキシコ国民に、政府がウイルスと対峙するために与えた指示に従うように呼び掛けた。

4度目のリーグ優勝(2004年後期ステージ)

 

後列:フランシスコ・フォンセカ、セルヒオ・ベルナル、イスラエル・カストロ、ダリオ・ベロン
前列:ヘラルド・ガリンド、ホアキン・ボテロ、ホセ・ルイス・ロペス、アイルトン・ダ・シルバ、ディエゴ・アロンソ、ハイメ・ロサーノ

 

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コーチ陣と首脳陣、PUMASは2004年後期ステージのリーグ優勝を飾る

 

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6月13日、ウーゴ・サンチェス 指揮下のチームは、大会形式が2ステージ制に変更されてから初めて2連覇したクラブへ

 

ある晴れた日曜日、ベンチにウーゴ・サンチェスを監督に擁したPUMASは、オリンピック・スタジアムにおける2004年後期ステージ・リギージャ(プレーオフ)決勝戦のセカンドレグを戦った。そして延長戦およびペナルティキック決着の後、4度目のリーグ優勝を果たした。こうして前回リーグ優勝した1990−91年シーズンのリカルド(トゥッカ)フェレッティ弾から13年もの間、無冠に終わった負のスパイラルを断ち切った。

 

その2004年は、PUMASにとって黄金時代の始まりとなった。まずはこのタイトルをきっかけとして、大会形式が2ステージ制に変更されてから初めて2連覇したクラブとなり、さらには年間王者決定戦(カンペオン・デ・カンペオーネス=前期ステージと後期ステージの勝者による)をも勝ち取った。この年を皮切りに、2009年後期ステージと2011年後期ステージのリーグ優勝を通算4度獲得した。

 

ハリスコ・スタジアムで行われたファーストレグは、PUMASのホセ・ルイス゛パレヒータ゛ロペスとCDグアダラハラのラモン・モラレスによるゴールで1−1で終わり、セカンドレグをホームゲームで戦うことになったPUMASだったが、スコアレスドローのまま延長戦を戦い、最後にペナルティキック決着に持ち込まれた。

 

PUMASのキッカーは、ハイメ・ロサノ、ホワキン・デロルモ、ホワキン・ベルトラン、フランシスコ・フォンセカ、そしてアイルトン・ダシルバの5人が全て決めた。対するCDグアダラハラは、アドルフォ・バウティスタ、マヌエル・ソル、フランシスコ・パレンシア、オマール・ブラボまではそれぞれ決めたが、最後のキッカーとなったマヌエル・メディナが蹴ったボールは、セルヒオ・ベルナルが守るゴールバーの上を越えていった瞬間にPUMASのリーグ優勝が決まった。

 

3度目のリーグ優勝(1990-1991)

 

後列:ミゲル・エスパーニャ、マルコス・ミスドラヒ、クラウディオ・スアレス、ホルヘ・カンポス、アブラハム・ナバ、リカルド・フェレッティ
前列:ファン・カルロス・ベラ、アルベルト・ガルシア・アスペ、ロベルト・メディナ、ルイス・ガルシア、コンスタンティーノ・ロペス

 

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リカルド・フェレッティ の素晴らしいゴールで、PUMASは1990−1991年シーズンにクラブ・アメリカと対戦してリーグ優勝を獲得

 

強さ、コース、試合における意味で歴史に残るシュートで、PUMASは1990−1991年シーズンのリーグ王者となった。そしてそれは、2つの決勝戦(1984ー85年と1987ー88年)で勝利したクラブ・アメリカへの復讐を意味しており、未だに記憶に深く残っている。クラブ・アメリカのカルロス・ミロクとPUMASのミゲル・メヒア・バロンの両指揮官は、彼らの紋章にもう1つの星を付けるために戦った。

 

ファーストレグは、アステカ・スタジアムで行われた。試合開始早々、ルイス・ガルシア・ポスティーゴが先制点を挙げるも、クラブ・アメリカはすぐさまテオドロ・ドス・サントス、ゴンサロ・ファルファン、アントニオ・カルロス・サントスらが立て続けに得点を決め、前半で早くも1−3という展開。後半に入ってダヴィド・パティーニョがペナルティエリア外からのロングシュートでリードを縮め、PUMASはホームゲームのセカンドレグで優勝を狙うことになった。

 

1991年6月22日、リカルド(トゥッカ)フェレッティによる歴史に残る“トゥッカ弾”でオリンピック・スタジアムはお祭り騒ぎとなった。前半たった6分、主審:アルトゥーロ・ブリシオはエドゥアルド・コルドバによるトゥッカに対するファールを宣告。チームで最もベテラン選手だった彼は、その右足に信念を持っていた。フリーキックの壁が並べられ、リカルドはクラブ・アメリカのアドリアン・チャベスがマークしていた位置を狙って放ったシュートは、見事にゴールネットに突き刺さり、PUMASのリーグ優勝を引き寄せた。

 

この得点でスコア合計が3−3のドローとなり、ファースト・レグでPUMASがマークしたアウェーゴールの2得点によって、PUMASはその紋章に3つ目の星を付けることになった。

 

2度目のリーグ優勝(1980-1981)

 

後列:ホルヘ・エスピノサ、パブロ・ルナ、ホルヘ・パオリーノ、ホセ・ルイス・ロペス、リカルド・フェレッティ、マヌエル・マンゾ 
前列:ロペス・ザルサ、マヌエル・ネグレテ、ラファエル・アマドール、ウーゴ・サンチェス、グスタボ・バルガス

 

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PUMASはオリンピック・スタジアムでクルス・アスルを制し、2つ目のタイトルを獲得。そして、ウーゴ・サンチェスにクラブに別れを告げる

 

PUMASの紋章に2つ目の星を付けるのは、格別の味であった。そしてそのタイトルは、1980−1981年シーズンに歴史的なクルス・アスルを制さなければならなかった

 

その決勝戦は、ボラ・ミルティノビッチが率いるPUMASの大胆で攻撃的なサッカーと、イグナシオ・トレジェスによるクルス・アスルの狡猾で経験豊富なサッカーとの衝突でした。その戦いは、1981年8月6日にアステカ・スタジアムにおけるファーストレグで始まった。その戦いは前半47分にアドリアン・カマチョのゴールにより、ギジェルモ・メンディザバル、ヘラルド・ルーゴ、カルロス・ハラ・サギエルらが率いるクルス・アスルが1−0で勝利した。

 

セカンドレグは8月9日に行われ、PUMASがその最大の輝きを放つ日となった。オリンピック・スタジアムは壮大な観衆の前で4得点を挙げ、PUMASはメキシコ・サッカー1部リーグで2つ目のタイトルを獲得し、またアトレティコ・マドリードでプレーするためにスペインに旅立つ偉大なウーゴ・サンチェスにとって素晴らしい別れとなった。「非常に長く困難なシーズンの後、チームにとって相応しいお祝いだった。 ボラ・ミルティノビッチ監督はチームのパフォーマンスに非常に満足していたし、リーグ王者になるということについてみんなで語り合った。」とマヌエル・ネグレテは話した。

 

PUMASの幸運への歩みは、その試合開始後10分に、チームの主将であるウーゴ・サンチェスのヘディングによる先制点から始まりました。その後前半22分にリカルド・フェレッティによる得点でリードを拡げ、さらに24分にはマヌエル・マンソが3点目。前半終了間際に、ようやくクルス・アスルはラファエル・トリビオによるゴールで反撃。しかしながら後半に入って、エンリケ・ロペス・サルサが再び得点を挙げてPUMASのリードを拡げ、この得点が事実上タイトル獲得に繋がった。

 

最初のリーグ優勝(1976-1977)

 

後列:レオナルド・クエジャール、オラシオ・サンチェス、カビーニョ、ラディスラオ・ドミンゲス、エルネスト・セルバンテス、フアン・ホセ・ムニャンテ、エンリケ・バスケス・デル・メルカド、アルトゥーロ・バスケス・アジャラ
中列:エクトル・サナブリア、ホルヘ・ベルガラ、ヘラルド・カンディド、ワシントン・オリベラ、マリオ・トレホ
前列:スペンサー・コエーロ、ウーゴ・サンチェス、ヘスス・イトゥラルデ、ホセ・ルイス・ロペス、ヘナロ・ベルムデス

 

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PUMASは、1976-1977年のシーズン決勝でレオネス・ネグロスを破る

 

ハンガリー人監督:ホルヘ・マリクの指揮下にあるPUMASがグアダラハラ自治大学と対戦して、1976-1977シーズンでクラブ最初のリーグタイトルを獲得

 

当時両チームは強烈な決勝戦を戦い、PUMASはスコア合計で1対0でブラジル人カビーニョが決勝点を決めた。ファーストレグはアウェーゲームでハリスコスタジアムにおいて対戦。両チームとも多くの得点チャンスを作ったにもかかわらず、最終スコアはスコアレスドローであった。

 

セカンドレグはPUMASのホームゲームであったためオリンピック・スタジアムで試合をする予定が、当時メキシコ自治大学がストライキ中でスタジアムを使用できなかったため、アステカ・スタジアムでプレーをしなければならなかった。スペンサーのパスで挙げたカビーニョのゴールは、PUMASがリーグタイトルを初めて獲得するのに十分であった。

 

当時のPUMASスタメンは、ヘナロ・ベルムデス、アルトゥーロ・バスケス・アヤラ、「パレハ」ロペス、カビーニョ、フアン・ホセ・ムニャンテ、ホセ・ヘラルド・カンディド、スペンサー、レオナルド・クエジャル、そしてまだ若手だったウーゴ・サンチェスがベテラン選手たちの仲間入りを果たした。ベンチで采配を振っていたのはハンガリー人監督のホルヘ・マリックで、ボラ・ミルティノビッチを助監督にしており、後にメキシコと世界の両方でサッカーの歴史を刻むことになった。

 

 

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、4月一杯自宅勤務

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メキシコではハカランダ(中央の紫色の花)が咲き乱れる季節となったというのに、古今のウイルス感染騒動で当初は4月第1週のみ自宅勤務という予定であったのが、今月一杯ずっと工場閉鎖になってしまいました。

 

毎日自宅でメールをチェックしたり、そのメールをメキシコ人従業員へ翻訳したり、また各プロジェクトに関する電話などによる連絡をしております。なかなかこういった機会も滅多に無いと思うので、これからこれまでPUMASが達成した7度のリーグ優勝の記録を翻訳していきたいと思います。

新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、メキシコサッカー1部リーグ中断

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いつもメキシコサッカー1武リーグを見て、これまで生きて来ました。どんなことがあっても、サッカーさえあれば何とかやって来れました。それがこんな形でこういう日がやって来るとは、夢にも思っていませんでした。だから今サッカーの無い日々を送るのは、非常に困難です。平日のメキシコ杯や北中米カリブ海チャンピオンズや週末のリーグ戦の開催が無く、毎晩欠かさず見ているサッカー番組も何か非常に違和感を感じます。

 

それまでサッカーに興味が無かった今働いている会社の社長が、アグアスカリエンテスのチームを応援したいと言ってクラブ・ネカクサの首脳陣と会う機会があって、第10節のホームゲーム(ビクトリア・スタジアム)のピッチに試合前のウォーミングアップをしている際に、立つことが出来ました。やはりサッカーは、生で観戦するに限ります。想像していた通り、社長も夢中になってしまいました。

 

なぜそんなにサッカーに夢中になれるのかと言えば、それはきっとスタジアムへ行って見れば答えはそこにあります。自分が今から20数年前にメキシコへ初めて来て、メキシコサッカー1部リーグの試合を見た瞬間から、それは今もなおずっと変わりません。ゴールを決める瞬間。それはスタジアムにいる、あるいはテレビ中継で見ている人もそうですが、お金持ちの人であろうが貧乏な人であろうが、みんなが一緒になって喜べるものなのです。

 

この度、クラブ・ウニベルシダ・ナシオナルから1つのメッセージが送られました。

 

もし君が世界中の何百万人ものサッカー選手たちの前で夢を見たことがあるなら、今が君にとってその時だ。世界のために、プレイをし続けろ。

メキシコリーグ2020年後期 第10節 León 3-1 UNAM

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クラブ・レオンがPUMASを制し、2020年後期ステージの暫定首位に立つ

 

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コロナウイルスによって実施された対策のために無観客試合となったノウ・カンプ・スタジアムで、クラブ・レオンがPUMASを3−1で破る

 

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無観客のノウ・カンプ・スタジアムでサポーターと共に喜ぶことなく、クラブ・レオンがここ4試合未勝利のPUMASを3−1で破り、メキシコサッカー1部リーグ2020年後期ステージの首位に立った。

 

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前半12分にフェルナンド・ナバーロが、32分に42分にはペナルティキックを外したアンヘル・イスラエル・メナが、そして後半アディショナルテイムにビクトル・イスマエル・ソサが土曜日のナイターゲームに行われた試合においてそれぞれ得点を決めた。対するPUMASは、前半26分にカルロス・ゴンザレスが得点をマークした。

 

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アルフレッド・サルディヴァルは、前節の首都ダービーでフェデリコ・ビニャスに奪われた2点目から自信を失ってしまったように見えた。その証拠に前半34分、左サイドからウィリアム・テシージョのセンタリングに対処することが出来ないまま、中央から走り込んだアンヘル・メナへ押し込まれたのである。

 

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前半終了間際にもアンヘル・メナは、アルフレッド・サルディヴァルがフェルナンド・ナバーロを相手にペナルティエリア内で激しいタックルを受け、負傷退場せざるを得なくなったファールで得たペナルティキックをゴールバー上に吹かしてしまい、外した。後半開始した後は両チームともにボールを支配出来ず、得点チャンスを得ることがなかった。クラブ・レオンは少しずつボールタッチをし始め相手陣内で危険な場面を得たが、攻撃陣のフィニッシュが拙く得点を挙げるには至らなかった。

 

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セバスチャン・サウセドが2枚のイエローカードを受け退場処分となった後半33分、PUMASは奇跡的に同点に追い付く機会を得たが得点することが出来ず、対するクラブ・レオンはアディショナルタイムにイスマエル・ソサがダメ押しゴールを決め試合は決定的となった。

 

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この結果、クラブ・レオンは勝ち点21で暫定首位に立ち、日曜日のクルス・アスルの試合結果待ち。対するPUMASは勝ち点15のまま、ここ4試合で1分け3敗となった。

 

 

【メキシコサッカー1部リーグは、コロナウィルスの緊急事態で第11節以降全試合の開催を中止】

 

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メキシコリーグ2020年後期 第9節 レビュー

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ミッチェル監督は、アルフレッド・サルディヴァルを改めてスタメンとして承認

 

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PUMASの監督:ミゲル・ゴンザレス”ミッチェル”は、ゴールキーパー:アルフレッド・サルディヴァルに自信を寄せていると述べ、改めてスタメンから外さないと承認した。

 

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「考えていない。」と、試合後の記者会見における最後に「ゴールキーパーの交代を考えているか?」 との問いに対して、答えた。しかしミッチェルは彼のエラーは明らかだったとして、それらは試合において高価についたと言った。

 

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「今日は我々が、相手チームより良い出来だった。これは本心であって、クラブ・アメリカには敬意を表する。犯したエラーは非常に高く付いた。ウチのチームは非常に成功していて、同時に間違いを犯した。」

 

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最後にエンリ・マルティンやフェデリコ・ビニャスのようなフォワード陣をマークするには、もう少し厳しく行くべきだと付け加えた。 

「危険を犯したし、激しくマークに行った。あの意図を良く理解している、アグレッシブさが欲しい。ビニャスやエンリをマークするには、もう少しいつもとは違って激しく当たりに行かないといけない。我々は、ただボールを取りに行っただけだったと言える。試合がフェアだったか?とかアンフェアだったか?を語る意味は無い。ウチのチームは、後半素晴らしい試合をした。とても良いフィーリングだった。」

 

  

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今シーズンのベストゲーム。ミッチェル監督は「我々の進むべき道は、これだ。」

 

贔屓目無しに見て、第2節(対ファレス戦4−4)以来の今季ベストゲームでした。内容は素晴らしかったのですが、どちらのゲームも惜しむらくはそれまで勝ち越していて、最後の最後で追い付かれてしまい勝ち点2を失ったところでしょう。

 

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この試合ミッチェル監督はここ2節の連敗を受けて、初めてフォーメーションとスターティングメンバーを代えました。それまでの4ー2ー3−1から4−4−2へ。そして左サイドハーフをセバスチャン・サウセドからビクトル・マルコーラへ、カルロス・ゴンザレスのワントップであったフォワードをファン・ディネンノ(トップ下だったファビオ・アルバレスをベンチに下げて)とのツートップへシフトしたのです。

 

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それではこの試合における、特筆すべき点を挙げていきます。最初に左サイドバックのアラン・モソ。クラブ・アメリカの若きメキシコ代表ミッドフィルダー:セバスティアン・コルドバとの攻防はほとんどの場面で競り勝っていましたし、おかげでミゲル・エレラ監督は後半18分に彼をベンチに下げて、ロヘル・マルティネスを投入せざるを得なくなったのです。さらには相手3人に囲まれながらもそれを突破し、再三のチャンスを創出。後半に入ってからは彼が右サイドを突破して、カルロス・ゴンザレスへのセンタリングをスルーしてのファン・ディネンノがシュートであるとか、こぼれ球をディネンノがヘディングシュートという場面は目立ちました。極め付けは3点目の追い越し弾で、彼が自陣左サイドへ奪ったボールをハーフライン付近まで持ち込んで、セバスチャン・サウセドへ叩いた後に生まれました。

 

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次にこの試合のマンオブザマッチに選ばれた、ビクトル・マルコーラ。ミッチェル監督は、彼をなぜ起用したのか?という報道陣の問いに対して、普段のトレーニングにおいて常に違いを見せていたからだと答えていました。負け越していた状況からの自ら飛び出して決めた同点弾もさることながら、主に前半に見られた左サイドを中心にアレハンドロ・マヨルガとのワンツー(ラストパスが少し長過ぎて、直接点には結びつかなかったものの)も非常に効果的でしたし、全てのセットプレーは彼とパブロ・バレーラがキッカーを務めており(特にホアン・バスケスへのセンタリングは、決まりませんでしたが)ケースバイケースで二人が蹴り分けていて、先制点の起点にもなりました。加えて彼はユーティリティプレーヤーでもあるので、時には右サイドからも攻撃に参加していました。

 

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そしてマルコーラとセットプレーのキッカーを務める、パブロ・バレーラの復調も見逃せません。再三に渡って右サイドを突破し。特に後半開始早々のプレーは最後に相手ディフェンダー:ホルヘ・サンチェスのスライディングで防がれましたが、今までにないキレがありました。また前半負傷したマルコ・ガルシアに代わって出場した、レオネル・ロペスの左サイドへの展開も見事でした。彼はもともとクラブ・アメリカの選手であったので、この首都ダービーで存在感を示そうという決意が感じられました。ボランチとして、ほぼ完璧な機能をしていました。

 

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クラブ・アメリカの得点は、ほとんどがセットプレーからでした。先制点のフリーキックは、3枚の壁の真ん中にいたゴンザレスが飛ばなかった隙を突かれました。3点目は左サイドのコーナーキックで、セットプレーで上がっていた相手ゴールキーパーのオチョアが手前でジャンプして競り合ったこぼれ球をイニエストラがマークに付いていたエンリ・マルティンに決められたもの。また相手が右サイドをパウル・アギラルとホルヘ・サンチェス、レオナルド・スアレスのトライアングルを利用して、傘にかかって攻撃していたのを止められなかったことは、今後の修正点となるでしょう。

 

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気になるのは、両センターバックがここ毎試合のようにイエローカードを受けている部分です。ニコラス・フレイレとホアン・バスケスの2人は、さすがに鉄壁の守備でほぼ完璧であったと思いますが、要所要所でフレイレが相手の足を踏ん付けてしまったり(幸いカードは出ませんでしたが)、その後のプレーでマヨルガが相手のジャージを引っ張って倒してしまい、先制点のフリーキックとなってしまいました。負傷明けで前節途中出場したフレイレはこの試合からスタメンに戻りましたが、今後はもう少し改善していかないと致命傷に繋がりかねません。

 

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最後に、後半の両チーム監督が行った選手交代がキーポイントとなったことを挙げて終わりたいと思います。残り10分でミッチェル監督はニコラス・フレイレを下げてセバスチャン・サウセドを、エレラ監督はフェデリコ・ビニャスを下げてラモン・フアレスをそれぞれ投入。前者は2点目のマルコラへの対角線のセンタリングと3点目の起点となるファン・ディネンノへのスルーパスを供給。後者はディフェンスを5枚にして守りに入ったものの、その甲斐もなく2失点を喫しました。しかし最後のカードだった、パウル・アギラルに代わって出場したジョバニ・ドス・サントスがサルディヴァルの前で遮っていたのは、見逃せないポイントであったと思われます。お互いに両センターバックを下げてまでリスクを冒す総力戦だった、見応えのある今年の首都ダービーでした。